そうなったって、なんだって
苦痛を切り売りして、何かをすること。私がそれを切って売って、何になるんだろう。
消化して、昇華出来ていれば、それは何かになる。沢山の作品たち、なんて素晴らしくて、苦しくて。翻って、私はどうだろう。そんな事、出来はしないだろう。
出来の悪いポエム、あるいはこのブログでしかない。
何がしたいんだろう、何もしたくない、そして何もできない。
私の苦痛はあなたには分からない、そして、あなたの苦痛も私には分からない。
人間、すべてを分かり合えると思ったら御終いだ。でも、だからこそ、ことばを尽くして、我々は分かり合おうとしなくてはいけないのだろうね。
こんなに単純なのに、どうしてもっと単純に生きることが出来ないのだろう。
どうして何もないのに、何かを表現したがってしまうのだろう。空っぽのところからは何も出てこない。何もないのに何かをどうして、どうやって表現しようというのだろうか。そんなに私は賢くないのに。
読めない本、読んでも分からない本、観てない映画、観ても分からなかった映画。どうして好きなのに、どうしてこんなに何にもならないのだろう。
こんなファッションめいた、何もかもを私はどうして手放せないんだろう。
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誰かの特別になりたい。
特別な私にはなれそうにないし、誰かの特別になりたかった。
どこまで言っても誰かの代替品だ、私は誰かだけのになりたいのに。
一生叶わないのだろう、どこで間違えてしまったんだろう。本当は間違ってなんてないのかもしれないけれど、どうしたって間違ってしまったような気持ちになってしまう。
私が変わればいいんだろうか、好いてもらえるように。
変身、変心。身も心も変えてしまえば、私のことを好いてくれますか。嘘、本当はそんなことはしたくない、ちっとも。
偽物でいるくらいなら、と何もかもを拒絶できる馬鹿さが、強さを私が持っていればよかったんだろうか。代替品でいるくらいなら、と言えたら、良かったのだろうか。
そんなことを考えたとしても、私は代替品であることを選んでしまう。誰も居ないよりは良い、そうどこかで思っているから。それなのに、誰かの特別になりたいだなんて、なんて浅ましいんでしょう!
私が相手を好きなくらい、相手も私を好いてくれたりしない。
恋人が満たしてくれる、すべてを。どちらかで良いじゃないか、そう思うけれどそれはやっぱり別物でしかない。
どうしてこんなに我儘なんだろう。でも若者は友人の方が大事らしい、流行りだ、私も流行りに乗っているのかもしれない。
一人以外への関心なんて、すべてなくなってしまえば良いのに。
べとべととした醜い思いで歪んでいく。こんな醜さから早く脱却したい。
きっと何もかも、
12月が始まりました。師走、というのがとても好きです。12月になると師走、について触れている気がします、ブログを読み返す気はありませんが。もう年末です。時、早い。早いっていうより、速い。
2018年までに読んでおきたい本について考えておきたい。何故なら読みたかったのに、読んでない本が沢山なので。本は本当に無限に買えてしまうので、驚いてしまうね。読みたいという意識、底がない、貪欲。
と、いう文章を2017年の私は、下書きに残していた。読まれることなく消えた記事はたくさんあって、別にこれだって残す必要はないのかもしれないけれど、一応。
もう年が明けてしまいました、もう14日。あけましておめでとう、今年も良い年になると良いですね。15日までは言っても大丈夫らしい、今知りました、私は何も知らない。
2017年は169冊の本を読んだのらしい。でも、多いのか少ないのか、良く分からない。少なくはないと思う、あと別に冊数には意味がない。4年間で私は一体何冊の本を買って、何冊の本を読んだのか。それには一体、どうした意味があったのか、意味なんてきっと、何もない。けれど、私は本が好きで、多分良かったのだと思う。
4年間が一体何の意味があったのか、分からずにいる。人生を、何かの意味を問うのは難しくて、意味を考えるとつらくなる。でも、何を一体、私は出来たのか、そんなことを考えてしまう。一応の集大成めいたものは、これが私の集大成なのかと恥じるような気持が、正直なところ、ある。もっと、頑張れたのではないだろうか、いつだって終わってから、そんなことを考えるのだ。それはとてもずるくて、はしたない。
私はこの4年で、少しでも良くなれたのだろうか。分からない、良くなるって一体どういうことなのだろうか、それすらも分からなくて、やっぱり何も私は分からない。
誰のための読書か、誰のためのインターネットなのか。私のためのそれらをうまく出来ない。どうしたら良いのか、よく分からなくなってしまう。たくさんのルールで縛っておいた方が、きっと、良いと思っている。それなのに、それだって難しい。
この世にたやすいことなど、何もない。それくらい、私のために、やりたいのに。
私はそんなやわらかで、甘やかなことは、信じていない顔をしている。けれど、他人のやわらかで、甘やかな夢は優しくくるんでいたい。その景色を、本当に望んでいたのだ。掻き消えそうな、白い景色を、私は。
わ
私はあなたの考えていることが知りたい。
分かるようにはきっとなれないけど、知りたい。あなたは何を見て、何を思い、何を考えるのか。私は知りたい、あなたを知りたい。
知りたい気持ちは、愛だ、と思っているから、あなたのことが知りたい。分かりたい、分かりたいけど、そんな大きなことは言わないから、知りたいのだ。教えて欲しい、あなたが見ているものを、聴いているものを、好むものを、私に教えて欲しいのだ。
でも、私は聞くことが出来ない、どうして、聞けないのだろう。怖い、私は怖い、どう思われるか分からないから、怖い。私はどうも、説明されているのに、分からないらしい。何も分からない、みんながいうように、私も何も分からない。
分からない、分からなくて、良い、分かりたいけど、分からないのだから、もう、分からなくて良い。知らないままでいい、誰のことも分かりたくないし、私のことを分かってもらわなくても良い。
本当に、そうだろうか、そんなことも分からない。いつだって、本当は分かってほしいのに、何も分からなくて、苦しくて、ここままでは、私は生きていけない。
わたしは、こんなに、
わたしは、こんなに、あなたになりたい。昔から、自分にないものをもっているひとに、なりたがった。わたしのなりたい私は、わたしから遠く離れていた。なりたい私が遠いのは普通のことだろうけど。
なりたいものになれないのは、苦しい。苦しんでることも、苦しい。どうしたって、わたしはわたしで、わたしは私にはなれなくて、苦しい。苦しいのは、馬鹿らしくて、苦しい。苦しかったこと、忘れたんだろうか。
前ほど、何かを私にしよう、と、もがかなくなった。大人になった。あんなに苦しかったのに、わたしは誰なのか、本当のわたし、本当の私をあんなに探していたのに、わたしはいつだって誰かになりたかった、わたし以外の誰かになりたかった。
わたしはわたしであることを、私になることを、諦めたのかもしれない。わたしであることを、許した、といえるくらいに、自己肯定的になれない。私になれない、ということを、考えることを放棄しているのかもしれない。またひとつ、愚かになる。わたしはわたしでいるために、私になりたいのに、わたしであるために、また少し、愚かになる。
昔のわたしが求めた私には、今のわたしは遠すぎる。わたしは酷く鈍感に、愚鈍に、わたしが嫌う人間に、更に嫌いな人間になったのではなかろうか。わたしは、わたしのことを、許してくれるだろうか。許されてないのに、わたしは許されたようになってしまった。センシティブであること、敏感であること、この世界に対して、刃を向け続けること、きっと、わたしは、昔のわたしは、そう望んでいた。わたしは、今だって、本当は望んでいるんじゃないか。どうなんだ、どうなのだ、どう思っているんだ。分からない、わたしの求める私は、一体どんな形をしているのか、分からない。
わたしはあなたになりたい、なれるわけない、あなたになりたい。あなた、あなた、あなたは私だ、わたしは私になりたい。
わたしは、私になりたい。どうしたってなれない私に、なりたいのだ。
どこかにいくのは、とても怖い。どこにいっても、やりようはあるのに。やりようはある、やり方がいっぱいある、選択肢はひとつではない、どこにいっても幸せで、どこにいっても不幸せだ。
どこで間違えた?どこで正解した?わたしの分岐は一体どこだったんだ。セーブ地点がない、リセットボタンはない、分岐が分からない。すべての芝は青く、綺麗だ。
生を、否定したくない。わたしは、わたしであることを、心の底から肯定してあげたい、あげたいけれど、それは愚かしい、愚かしくみえるのだ、どうしたって、汚い、そんなものをどうして、肯定してあげられるんだろう、馬鹿馬鹿しい、生きるということ。
g
所謂、風邪であって、あまり調子は良くない。
ペットボトルの水を馬鹿みたいに飲んでいる。肌の調子が良いような、塗ってるもののお陰なのか、それとも、ホルモンの都合なのか。私のなかのこと、私はちっとも分からない。みかんとアイスクリームは、冷たくて、甘い。
旅行におけること、上手く書けない。つい先日、広告を見た。言葉は自由だ、といったやつ。口のなかで、転がしてみる。言葉は、自由だ。
それなのに、どうして、いつもこんなに窮屈なのか。いつもこんなに、不自由なのか。
語る言葉を持たない。本当は持っているのに、使えない。分からないけど、後者だと良い。きっと前者だ、分かっている。
結局、訓練だ。ワンツーさんし。嫌いな言葉は、努力だ。
好きなものからは、逃れられない。好きは呪いだ。
どこまでも追いかけてくる。天国、地獄、ずっと一緒にどこまでも。離れた、さよなら、と思っていても、やっぱり側にいて、なんだお前、そこに居たのか。当たり前でしょ。そんな風だ。
好きなもの、きちんと好きだと言える。そうなりたいのに、いつだって、どうして、こんなに、難しいんだ。
高校生の部活に関するフィクション、いや、高校の生活をうまく、もがいて、生きていくフィクションへの思い。
我々は、我々の人生における主役だ。他の人の人生など、本来は分からない、あれらは全て実はbotで、本当に私が人生の主役かもしれない。でも、それは、妄言だ。
私の人生の主役は私だ、それは分かっている。でも、なりたいのはそれじゃないだろう。そうじゃない、それだけじゃ、足りない。
私は、私たちは、あなたの人生においても、主役になりたい。特別になりたい、私たちは、当たり前で終わりたくない。特別は当たり前じゃない。
何者かになりたい私たちは、あなたを主役の座から、ひきずりおろして、私たちはそこに座りたい。
そんなことを、何者かになりたいのかもわからないのに、思う。
昔はもっと、自覚がなかった。現実だから、ここだから、私は埋もれていると思っていた気がする。そうじゃなかった、きっと、私はフィクションでも、埋もれたままだろう。特別にはなれないだろう。ラノベを読む少年少女、きっと、あなたは名もなき人になる。
旅行における、
旅行に行ってきた。先週の今頃には、あっちに行っていて、でも今は家で、大して上手くもない文章を綴っている。
3泊4日、というのは長いようで、あっという間である。あっという間だった、というと、それだけ楽しかったのだね、と返ってきて、ああ、そうだったのか、と思う。勿論、楽しかったのだけれど、楽しかったから早かったのか、などと今更思う。楽しい旅行だった。
もっと長く居られたら、帰り際、悲しくないのだろうか、と思うのだが、きっと、もっと悲しくなるのであろうな、と思う。これだけの長さをあちらに居られるのは、学生だけの特権的で、気分が良い。でも、それもあと少しのはず。
帰り際に毎度泣いてしまう、いつか泣かなくなってしまうのだろうか。良いようで、良くないようで。泣いてしまうのは恥ずかしい、きちんとお礼を言えるようになったのは、成長です。
どれがいちばんだったか、というのは、とても難しい。一緒に居られたら、大抵が楽しいので、甲乙つけがたい。思考停止だろうか、そんなことはないと思う。
人とやっていくことは、やっぱり、怖い。うまくいかないのではないかと、思ってしまう。でも、みんな、良いひとで、何かあるなら、私が良くなくて、そんなこと考えても仕方がない。でも、やっぱり、楽しかった。
音楽が、そこにはあった。
こんなことを言うのは、本当に良くないけれど、どこかで、疑っていた。私は、おべっかを言う必要があることになるんじゃないか、と。照れくさい気持ちになって、そういうことになるんじゃないかと、どこかで、恐れていた。
でも、きちんと、音楽がそこにあって、泣いてしまいそうになった。きちんと、作られた、それらがあって、私は、良かった、と本当に思えた。本物だと、私は、そう思えた。
遠くて、私には、手が届かないと思った。ちゃんと、あなたたちは、何かを表現していると、苦しくなった。ちゃんと何かが、あるよ、と誰にも言えないけれど、そう、思った。
都会のリズムは私には少し早い。鈍いと言われても仕方がない、と思う。そこでぐいっと力強く、いくのが怖い。でも止まっているのも、邪魔だ、都会のマナー。
もしここで、生活するようになったら、私はここのリズムに、マナーに、適応していくのだろうか。田舎である地元に戻ると、ここのリズムが恋しくなるんだろうか。分からない、人は、適応していく、変化していくから。
一人きりの自家用車のなか、誰も居ない、私だけの守られた世界は、とても居心地が良い。
旅行のこと、いつか忘れてしまう、甘い記憶のことを、いつか消えてしまうかもしれないここに綴るのは、間違っているようで、正しい。それに、いつか忘れるなんて、悲しいことは言わないでほしい。ずっと覚えていたい。