静電気

また5月がきたよ

こどもちゃん

 

自分は時々大人だと言われる。歳の割りにというか。

けれどもそれは大きな間違えではないかしらん。そんな風に思うのであるよ。

 

私はとても子供っぽい人間であると常々思っている。

もちろん、大人だと言われれば悪い気はしないのだけれど、しかしながら、そんな事ないのだけれどなあという気持ちでいっぱい。

 

感情的になって相手を追うことがどちらかといえば多いのだと思うのだけれど、こういうことからは逃走を謀る傾向にあるのだった。

人間関係よりも逃走しづらく、逃げれば自分の首を自分で絞めるも同然であるのに逃げてしまうのはどうしてなのだろうね。

ばかだからであろうよと言われれば頷くしかないのであるけれど。

 

悪いところが解ってそれでなおせるのであれば人間みんな完璧であろうよ。

悪いところなんて解ろうとするまでもなく見えていてそれでもうまく正せないのであって、この歳だものという気持ちとや、それでもなおせという気持ち。

 

正論というのはなんというか、言いやすくて、でも聞くのはどことなくしんどいものであるのだなあという感じであった。

耳が痛い。耳っていうかもはや胸が痛いしお腹も痛い、頭も痛いし果ては気持ち悪くさえなってしまうのであって、弱いな私という感じであった。

 

与えられる言葉が鋭くて、いやほんとは温かい、感謝すべき言葉が刺さって、心がささくれ立ってとてもじゃないけど、平然としてられなくなるのであった。

そんなの分かっているのだよと叫び出してしまいたい気持ちがぐわんぐわんと頭を揺らしてくるのであって、そんな自分からなのか、相手からなのか、距離をとりたいのに、グダグダと零れ落ちてくる言葉のなんと醜いこと。

そしてはたと冷静になって自己嫌悪の洪水に押し流されて逃げ出すのであった。

 

いつまで子供で居るつもりなのかい君は、と頭の中で囁くのだけれど、いつまでだって子供で居たいのだよとしか叫べないのは、駄目であるね。