静電気

また5月がきたよ

 

金木犀に関する呟きをちらほらと見ますね。

主に香りに関するもので、良い香りだと思うんですけど、でも私が思ってる香りがそれなのかいまいち確信がもてなかったりしてます。

お花が小さくて、可愛らしくて、漢字もなんだかいいですよね。

香水があるらしいので、それ、ちょっと欲しいです。

 

夏季休暇が終わってしまった。

夏季といえど10月なので、この時期は変な感じがする。

夏休み終わったね、というから夏をスキップしてしまったような、そんな変な感じが毎去年、一昨年はしていた。

今年はどうだろう。休暇、という感じじゃなくて、だからあんまりスキップという感じがしない。終わってしまったんだな、というだけ。

ひととはよく顔を合わせていて、それに少しばかり疲れてしまって、そういう意味でも休暇って大事だったんだな、なんてそんな贅沢なことを考えた。

会いたいひととだけ、会いたいなんてそんなことは無理なのだけれど、やっぱりそうであったら、もっといいのにな、なんて。

 

何かを見て、読んで、触れたものについての手触りを知らせる場がこの世には溢れていて、これだって、それのひとつで、そういう手段がたくさんあるのは良いことだけど、しんどいことでもあるな、とみていて思った。

そういうものがすきだから、どうしても自分と比較してしまう。

自分がもちろん、とても矮小な考え方しか出来ないのは分かっているのだけれど、それでも、ああ、と思うことが度々ある。

凄いなあ、良いなあ、と思って、それで終わるときもあれば、ああ、どうしてこうなんだろう、と無意味に落ち込むこともある。

私もそうなりたい、そんな風にしたい、と思ったりもして、でもそうはなれないから、あのひとなんだよ、と思ったりもして、そんな感じです。

 

秋といえば、読書の秋ですね。

年中といえば、年中なんですけれど、それでもやっぱり秋は読書ですよ。

ほんとは、読書の秋、っていう言葉が好きなだけなんですけど。

また順調に積み重なってきているので、読んでいきたいですね。読みたい本がたくさんあるのは良いことではないですか、ずっとこうだと良いなあと思っている。

生涯で読める本は決まっているそうで、ちょっぴりさみしい。でもどれくらいなんだろう、出典は知りません。

読みたい本を読み切るだけの時間はないけれど、生涯で読める本の冊数を読み切る時間もきっとないと良い、と思ったりもします。

そういえば、食欲の秋、も好きですよ。食は、楽し。

 

思ってみれば、秋は私のなかで出会いと別れの季節めいていて、何だか、秋のさびしさみたいなものによってそれが起きているのかな、と風呂掃除をしながら、思った。

別れの方がどちらかというと多くて、そんな季節にある意味で出会ったのは、何だか良いことのように感じられる。

もう1年経つんですね、何年も重ねていきましょう、そう願っている。