奇更
タイトルに意味はありません、良くこういうタイトルをつけるので後からタイトルで記事を特定することは出来なさそう。
誕生日を迎えて、また一つ歳を取りました。
たとえ死に近づいていく自分を祝う儀式だとしても、私はそれを祝うし、来年もそれまた次も、ずっと祝える限り祝い続ける。それに、祝ってくださる人がそばにいる限りはずっとそれを嬉しく思っていくのだろうな。
また祝い続けるけれど歳をとってしまったねという寂しさだって膨れ上がっていくのだろうな、でもそれはなんていうか、歳をとった証で贅沢な寂しさだったりするのかしら。だったらとってもいいことだね、なんて思えたりもする、今の気持ち。
お祝いの品は現金であって、それがたくさんの本になっていっていて、それがプレゼントになっている。欲しいものを聞かれても本、と答えることが多いので結局一緒、みたいな感じである。積んでる本がまた増えていて、それはまあ幸せなことだね。無駄遣いをしている、ともいえるのだけれど。それって贅沢で良いよね。
頑張れないという気持ちに支配されたり、何もできてない日が続いているのだけれど、どうなっていきますかね、これから先。先だと思っていた数々はもう目の前で、どうしたもんでしょうかね。
持っているものが違うからという気持ちはある方であるみたいなのですが、でもだからといってそういう人にはねくるんですよ、みたいな気持ちは何かちょっと違うんじゃないかなみたいな。持ってるひとが努力して、頑張って、っていう結果だと思うのである。
まあそら、持ってるひとと持ってないひとが同じだけの努力をしたら前者のほうがうまくいくだろうな、とは思ったりしちゃうんですけど。でも、もしかしたら、持ってないひとが努力したら、何もしてない持ってるひとに勝るかもしれないし、素質だけじゃないと思ってはいるわけであるよ。
まあ私は持ってない人間だと思っているので、謙遜とかではなく、本気でそう思っている。ではもし勝ちたいならば、そのためには頑張るしかないのである。しかも、持ってるひとも等しく努力している状態である、それだって分かっているのだから、まあ、とにもかくも、頑張るしかないのだよね。