静電気

また5月がきたよ

また5月が、

 

5月が終わってしまう。また5月がきたのに。

2年前の今日に私はこのブログを始めたようで、もうそんなに経ってしまったのか、という気持ちになる。こんなに続くなんて思ってなかったんじゃないだろうか。2年の間で私はどう変わっただろう、私のまわりはどう変わっただろう。そんなに簡単には変われない筈なのに、色んなものがいろいろ変わってしまった、そんな気がする。

変わっていくのはさみしく、普通のことだろう。普通ってなんだろう。人はいずれ変わるのだ、きっと。経年劣化の四文字。私はきっと前よりつまらなく、普通の人になっただろう。前より更に愚鈍になったような、冷たくなったような、刺々しくなったようなそんな気がする。ささくれだった気持ちを代償に安寧を得た気がする、後者の2つはささくれたままじゃないのかしら。まあ前だって普通の人だったけれど。

私のような人間が特別になる訳がなく、特別を名乗る人間は向こう側で、私はそれに満足している。自分が他人より劣っていることを認めることはそんなに苦しくない、私は思考停止して何もかも停止した世界に居たい。本当は変わりたくない、変わることはどうだっけ、なんて言ったっけ。私はそんなこと、したくない。

 

すきなことを生きる糧にすることは難しくて、どうしてもそうしたいかと言われるとそんな事はない気がするのだ。ただ珍しくしたいことを言える気がして、そんな気がしているだけで気のせいかもしれないけど、でも珍しくしたいと嘘ではなく思えている気がして、でも譲れないんじゃないかと思ったり、思わなかったりしている。

でもきっとこんなことも私は諦めることが出来るんだと思う、夢でもなんでもないのかもしれない、悲しいことだね。

やりたいこと、いっぱいやってきたとも思っている、好き放題やってきたと思っている。レールの上になんて居たことがないと思っている、でもそれは大きな勘違いなのかもしれない、私も敷かれたレールをなんとなく歩いてきたのかもしれない。かもしれないがたくさんある、最も信頼できないのは隣のあの子ではなく、私自身、なのかもしれない。

せめて本当の夢だけは、本当にすきなことだけは、恥ずかしくても情けなくても絶対にかなわなくても、胸を張っていたいのに。誰にも見せなくても言わなくても、自分だけには胸を張っていたいのにね。

 

久し振りに、といってもそんなに経ってない土地はやっぱり魔法の国であった。

ここで学生生活を送る皆々様が羨ましくなってしまう。私はここの土地の大学をひとつを受験していないというのに。

夜の街を歩くのは楽しくて、地元だとあんまり出来ないので、愉快な気持ちになってしまった。あんなに明るい夜は地元だとあまりない。23時頃にファストフード店が閉まったのは地元と同じだったけれど。

坂道を久し振りに歩いて、息がひどく上がってしまった。運動不足の四文字。ここの場所に馬鹿みたいに若者が歩いているのかと想像して、少しげんなりしたけれど、地元のとは違っていて、それはそれで面白かった。あとやっぱり交通の便が良い所が良いよね、と思った。地元に感謝。

旅行をしても早起き出来ないのは人間的な欠陥であるように思われてならない。せっかく知らぬ土地(私だけ)なのだから、朝早く起きて回りを散歩したり、モーニングなどに出掛ければ良いのに。とはいえ朝散歩するより夜に散歩したい気持ちがある、夜風は涼しくて、街灯がぼんやりして信号の灯が滲む夜はだいすきなのだ。まあ夏は暑いから散歩のしたくなくなってしまうかもしれない、今頃にまた行ければ良さそうだ。今度はどこかモーニングに行きたいですね、チェーン店でも良いからとにかく地元にはないところ。

昼間に地元に帰るのは久し振りで外の明るさが変な感じだったし、昼間の街の様子はなんとなく記憶とズレているような気がして、私のなかで夜に彩られた土地なのかもしれない。外の明るさのなかにあの人がいなくて、それもとても変な感じがした。帰りの列車で読んだ買った紀行文と状況がぐるぐると回って、昼間の明るい光と混ざり合って、なんだか涙がでそうになった。 

 

思いのほか、無力だったことを悲しく思っていて、こんなに自信がないからダメージなんて、とそう思っていたのに、勘違いだったのかもしれない。少しだけ気落ちしている。更に自信がなくなってしまった、私にはやっぱり無理なんじゃないか、もっと早くから、意味のない黒いもやが漂う。こんな文章を、何に誰に私にすら意味のない文章を書いている場合じゃないのは分かっているのに、する気が起きない。