静電気

また5月がきたよ

きちんと、読むってなんだろう、どうしたいんだろう、何かを伝えたいっていうより、何かを考えたい、思い付きたい。

レビューを書きたいとかじゃなく、読んだと思いたい、ぼんやりふんわりして消えていってほしくない、どうにかして残したい。

笑われんのがこわい、間違ってるっていわれんのがこわい、いう人は悪くない、私もほんとは悪くない。でも、やっぱりこわい。否定されてるわけじゃないのに、こわい。

結局、自分に自信がない、自信がないというより過剰な自己卑下が正当である錯覚(本当に錯覚なのかについて考えるときりがないので、置いておきたい)が根っこにがっしりあって、そこから逃げれんのがあるのも分かっている。

自分より下がいるのも、下がおらんのも、あんまり変わらなくて、考えるときりがない。自己卑下には終わりがない、終わりがなくて、意味がない。あんまり妥当性がない。上の人にも上がおって、下の人には上がおって、上と下の間に挟まってる人がおって、ほんとのところ私は間に挟まっておる人なのである。自分でどんだけ私は下や、下なんや、これより下がおらんのやといったところで、本当は下がおるはずなんや。下とか考えたくないけど、ほんとはおるんや。ほんで、上からみたら全部一緒や、一緒なんや、多少差はあると思うが、結局一緒で全部下なのや。

私が最も劣っていること、そう信じておるが、本当はそうでもないはずなのや、はずなんよね。分かっている、分かっておるが、そう信じたって、意味がない。それは逃げで、逃げですらないんかもしらんくて、とにかく意味がないのや。

変わりたいなら努力するしかない、鍛えるしかない、みんな賢いからねと言っている場合じゃあない、ないのだ、ないんだよ、やるしかない。やるしかないって言われると、涙が出そうになる。やるしかないって、分かっているのに、やってないから、恥ずかしくてしんどいのだね。やってしんどいのと、やんなくてしんどいの、どっちがいいんか、いいのか、ほんとは前者、前者が良い。楽なのは後、恥ずかしいけど、ほんとに恥ずかしいことなのだけど、グズグズと言い続ければ良い。可哀想がっておればいい、本当に自分はかわいいね、かわいいのだ、じゃなかったら、そんなの言わんの、言わんのだ。馬鹿な自分が可哀想で、かわいい。

話がゴロゴロ転がって、一体全体私は何を言いたいんか、本当は言いたいことなんて何もないんか、良く分からんくなってしまったが、まあとりあえず、私は変わりたい。変わりたいんや、遅いけど、変わりたい、遅くないのかもしらん、変わりたい、このままは嫌なんやよ、どうにかしたい、どうにかなりたい。何にもなれんのは分かっておる、上になりたいのではない、人並みになりたい、それは上になりたいのと上になりたいのとは変わらんといわれたが、人並みになりたい、本当は人並みじゃないのかもしれん、人並みっていうのは自分がまあ良いやと思うラインであって、きっとそれは上になりたいのと求めるところが一緒や、きっと私の良いやは高い、高いはず、それでもやっぱり、変わりたい。

 

寝て、起きて、何か変わったかというと何も変わっておらんのですね、まあ変わるわけがない。本当に頭が悪そう、といわれてるアカウントを見て、こわいなあと思う、頭が悪いと直接、本当にいわれるのはこわい。頭が悪いのは、良くないことなのや、それだけでもう終わり、終わりであるのだ。知らんことを知ってるということ、知らんことは恥であるということ、恥ずかしいことを知ってるということ、何も知らんで呆れられるのが、まとはずれなこといって呆れていかれるの、呆れて離れていくのが、嫌われるのが、ほんとにこわい。嫌ってすらもらえんのかもしれん、そんな人いたか、となる、消えてなかったことになる、後でこんなアホもおったわねと思い出されるかも分からんけど、切ないわ、なんていうかこういうのを、考えて、動けんの、頭悪いのや。そういうのを考えて、なにも言えんし、なんも言わん、窮屈な生き方しておるのかもしらんね。

そろそろ、まじで、何が言いたいんか、とっ散らかって、どうしようもなくなっておるな。結局、こうやって、グズグズとしておるだけなのか、そんでお前はいいんか、何とかしないかんのじゃないのか、そういうことよ、そういうことなんよ。ずっと同じところで、ぐるぐると回っておる、ぐるぐるしておる。永久機関になりそう、永久機関が良くわかっておらん、イメージ、フィーリング、文字列優先。

何をしたら良いんか分からん、分かっておるが、良くわかってないのだけど、今までと一緒では駄目や、変わりたいんなら、駄目なんやよ。まあ、頑張るしかない、頑張るって便利な言葉やね、ぼんやりしている。一緒に並ぶなんて、絶対無理で、どうなりたいんやろ、周りからどう見られたいんやろうか、分からん、なんも分からん、分からんでは駄目や、どう見られたいとかじゃなくて、いやでも、結局どう見られたいか、それにつきるのやないか。自分が納得できるか、できんかって、結局、他者からの視線が絡んでくるんじゃなかろうか。

分からんけど、変わりたいっていうんは、思っておるのである、思っておるんやね、きっと。