静電気

また5月がきたよ

わたしは、こんなに、

 

わたしは、こんなに、あなたになりたい。昔から、自分にないものをもっているひとに、なりたがった。わたしのなりたい私は、わたしから遠く離れていた。なりたい私が遠いのは普通のことだろうけど。

なりたいものになれないのは、苦しい。苦しんでることも、苦しい。どうしたって、わたしはわたしで、わたしは私にはなれなくて、苦しい。苦しいのは、馬鹿らしくて、苦しい。苦しかったこと、忘れたんだろうか。

前ほど、何かを私にしよう、と、もがかなくなった。大人になった。あんなに苦しかったのに、わたしは誰なのか、本当のわたし、本当の私をあんなに探していたのに、わたしはいつだって誰かになりたかった、わたし以外の誰かになりたかった。

わたしはわたしであることを、私になることを、諦めたのかもしれない。わたしであることを、許した、といえるくらいに、自己肯定的になれない。私になれない、ということを、考えることを放棄しているのかもしれない。またひとつ、愚かになる。わたしはわたしでいるために、私になりたいのに、わたしであるために、また少し、愚かになる。

昔のわたしが求めた私には、今のわたしは遠すぎる。わたしは酷く鈍感に、愚鈍に、わたしが嫌う人間に、更に嫌いな人間になったのではなかろうか。わたしは、わたしのことを、許してくれるだろうか。許されてないのに、わたしは許されたようになってしまった。センシティブであること、敏感であること、この世界に対して、刃を向け続けること、きっと、わたしは、昔のわたしは、そう望んでいた。わたしは、今だって、本当は望んでいるんじゃないか。どうなんだ、どうなのだ、どう思っているんだ。分からない、わたしの求める私は、一体どんな形をしているのか、分からない。

わたしはあなたになりたい、なれるわけない、あなたになりたい。あなた、あなた、あなたは私だ、わたしは私になりたい。

わたしは、私になりたい。どうしたってなれない私に、なりたいのだ。 

どこかにいくのは、とても怖い。どこにいっても、やりようはあるのに。やりようはある、やり方がいっぱいある、選択肢はひとつではない、どこにいっても幸せで、どこにいっても不幸せだ。

どこで間違えた?どこで正解した?わたしの分岐は一体どこだったんだ。セーブ地点がない、リセットボタンはない、分岐が分からない。すべての芝は青く、綺麗だ。

生を、否定したくない。わたしは、わたしであることを、心の底から肯定してあげたい、あげたいけれど、それは愚かしい、愚かしくみえるのだ、どうしたって、汚い、そんなものをどうして、肯定してあげられるんだろう、馬鹿馬鹿しい、生きるということ。