静電気

また5月がきたよ

途中のこと、

 

5月になりましたね、皐月。GWも終わり、日常が身を浸していく。 

GWはアクティブに動いていたので楽しかったが、疲れてしまった。人と会って楽しかったのに、疲れたというと失礼な気がして、ここでしか書けないなと思う。近いことを言う事があるが、何となく、ここでしか言えないような気持ちになる。

人と話すと元気が出るが、やはり疲れてしまうのだろうな、仕方がないことだ。

初めてアルコールで失敗をした。何だか失敗と言うと大げさな感じがしてしまうが、あれは失敗であろうし、本当に申し訳なくて、生まれてきたことを後悔してしまっていた、今に始まった話ではないが。

自室がごみ溜めのようになっている。ゴミ袋にゴミ袋を入れる、本の塔は高くなるばかり。自室でお香を焚いてみたいが、本が、家が燃えてしまうといった考えが消えないので、焚けない。

欲しい本を見ながらため息を吐く午後15時だ。銀行へ行く。

 

といったことを書いたブログをずっと下書きにおいたままに、5月は、6月は過ぎ去って、もう7月になってしまう。

PCで書く方が好きで、でも平日PCに向かい合う元気がなく、そうしたら書かぬまま人生は流れていく。毎日馬鹿げたことで精神を削られつつ、私は息をしている。馬鹿げたことであることは私が良く分かっているし、削られているという考え方も馬鹿げているのだと思うのだけれど、削られていると感じるのだから仕方があるまい。私の甘えを、どうか許してほしい。

どうしてこんなに辛いのか、どうしてこんなにも辛いと思ってしまうのか、私がわるいのか、何度も同じことで泣いて、仕方がないのに考えて、こんなにも苦しい。休みの日くらい、好きな物のことだけ考えれば良いのに、すべてを黒く塗りつぶしてしまう。

 

そんなことを書いていた6月の休日が過ぎ去って、今は7月。

相変わらず私は黒く塗りつぶされた毎日に居る。私の考え方のせいだろうか、お前は好き好んで毎日を黒く染めているのだと言われると、そうなんだろうかと考えてしまう。

お前たちに壊される位なら、辞めてやると思っているのに、うまく出来ない。勝手にお前が壊れていくだけだろう、と言われたらそれまでだ。それまで、それまでだけど、それは困るよ、私のなのに。でも、私が勝手に壊れていくだけで、あちらは何も悪くないのかもしれない、悪いとか悪くないとかそういう表現もきっと間違っているのだろうとも思う。何も分からない、分からないからすべて投げ捨ててしまいたいけれど、何も解決しない。でもこうやって考えていても何も解決しない。

当たり前のことで怒られて辛くなってるだけなのだろうか、そうならば私が悪いのだろうし、君が間違っているんだと言って欲しい。そしたら私はその環境に適してないのではなく、これ自体が駄目ということで、なんというか、平たくいうと生きていくのに向いてないのだなと思う。

怒られるのは大嫌いだ、本当に好きじゃない。とても苦手だ。でも私は優れた人間ではないので、怒られながら生きていくしかないのも分かっている。ささくれていると感じてしまう言葉を投げかけられることを考えると、心臓がぎゅっと痛む。何も考えてない人間だという自負の下、生きているのにこんなにも考えてしまって辛い。

大した出力でもないけれど、こんなことを言う為に私はキーを叩いていて、本当に馬鹿みたいだとは思う。思うのだけれど、止められない。馬鹿げている、何もかもを放棄してしまいたいよ。

私は頭が悪いので文化的であるとは思えないのだけれど、それでも最低限の文化的さ、私の勘違いであっても最低限文化的でありたい。この環境でもなれるんだろうか、なれるのかもしれないけれど、精神的に難しい。精神の在り方は私次第で何とでもなるのかもしれないけれど、こういう風に今まで生きてきた訳でそれは難しい、本当は私が変わらなければいけないのに逃げているだけだろうか。私は弱い、弱いから強くならなければいけないのに、周りを変えてしまいたいのだ。変えて、良くなりたい。ここから早く逃げ出したい。

私が人生で結局大事にしたいことは何だろう、と思った時に本かもしれない、としか思えないのだ。だから私はここには居られないと思う。

 

ここまでの文章は、私ではない誰かが昔に書きました。というのは嘘だけれども。

こうやって誰にも読まれない文章を少しずつ書いている間に私はひとつの大きい決断をしたのであった。大きい決断なんて言い方をすると仰々しいが、小さい決断ではないと思う。分からないけれど。