静電気

また5月がきたよ

 

 

ブログに書きたいことがあった気がするのだけど、瞼を閉じている間に浮かんだ言葉たちは眼を開けば溶けてしまった。一体何だったのだろう、とても良いと思った筈なのに、忘れてしまった。

この強い風に吹き飛ばされてしまったのだろうか、この強い雨に流されてしまったのだろうか。風と雨が私の頭の中にまで入り込んでくる。頭が爆発してしまいそうだ、どうせならこのまま中身をひっくり返してしまいたい。

とはいえ、内容じゃなくて、表現だった気がする。でも内容も思い出せないから、何も分からない。どうせいつも通りの、繰り返しの、馬鹿げた内容の言い換えだった気がするのだけど。

 

私は母親になったことがない。あなたもそうだろう、父親になったことがない。

分かっている、私はあなたの恋人で娘ではない、分かっているのに私は時々あなたの娘ではあるような気がする。

私は想像する。あなたと二人きりで生きてきたことを、あなたが一人で育ててくれたことを考える。私には母がいなくて、あなただけ。父子家庭で、絶え間なく降り注ぐ愛の中で育った。
そんな私は大きくなってしまった、ティーンエイジャーになってしまった。

あなたが自転車の練習に付き合ってくれたことを思い出す、補助輪を外す練習を。

本当にはあなたとそんな練習はしていない、分かっている、だって私はあなたの娘ではないのだから。それでも私は見ているのだ、川のそばの広い道路、背の高い草、あなたの着ていたTシャツの色を。

そして、どれだけのことをあなたがずっとしていてくれていたかを思うのだ。これまでのことを、ずっとしてくれていた様々な愛の形を。それでも私は反抗的になる、子供は成長する。喜ばしくも、悲しくも生きていれば成長してしまう。

あなたの夕飯の時に机越しの喧嘩をする。広いテーブルに、あなたと2人。温かな料理が私の言葉で冷めてしまう。

あなたはどこまでも理路整然としていて、私はいつだって感情的。私の熱の入った言葉は料理を温めるどころか、冷ましてしまう。どこまでも子供じみている。子供じみているから見えない大事な線を踏み越えて、踏みにじるのだ、何もかも。あなたの傷ついた顔を思う。私は大きくなってずっと前よりも痛みを感じられるのに、前よりもあなたにそういう顔をさせるようになってしまった。

何も忘れたことはない、ないのだ。どれだけ私は愛されていたかを。今も愛されているのかを。無条件の愛を、一身に受ける幸福を、忘れてないのに。

そんな馬鹿げたことを思う、馬鹿げた文章を書き綴っている。何でだろう。多分、最近読んだ本に影響されているのだ。ここに少しばかりのSF成分を加えてみたらどうなるだろう、いやこれはどうにもならない駄文でしかない。

 

どうしてこんなに寂しがり屋なんだろう、どうしてこんなに欲張りなんだろう。どうして、どうして。いつだってどうしてで頭がいっぱいで、無理矢理答えを出して、また同じ問題で頭が膨らんで。頭がぼわぼわとする。死ぬまでこうなんだろうなと改めて思わされる。
みんな苦しいから考えるのをやめるんだ、今も中二なんだとそういう話をされた。なりたい自分について考えないんだろうか、考えないのだという、だって苦しいから。考えてない自己を見つめる私は本当に考えてないんだろうか、そんなことは考えたことがないと言う。私はいつだってそんなことを思っている。

絶え間ない自己否定、その先に一体何があるんだろう。黒い穴の底には何があるんだろう、何もないと思っているのに、何があるのかをいつだって考えてしまう。何かあってほしいと祈ってしまう、そうだ、本当は何かしらを見付けたいのだ。このどうしての先に、私は本当は答えを望んでいる。何もない、以外の答えを。
いつだって何もないのだと自分に言い聞かせている、生きている意味とか。せんのないことを考えるときのベストアンサー、何もないのだという答え、諦念を甘受せよ。
堂々巡りを繰り返す私は滑稽で、子供じみているんだろう。馬鹿みたいだと本当は思ってるのかもしれない、新しい価値観だなんて笑わせる。

でも私は本当はやめたくないんだと思う。滑稽で馬鹿げていても、死ぬまでこのままでいたいんだろう。苦しいままは嫌だけど、苦しみを取り除く為にやめるというのは違っている。というよりもやめられないという確信がある、とりあえず今のところはだけど。それを確信と呼べるのかは分からないけれど、苦しまない為にやめられるならきっともうやめているだろう。こうやって呪ってなくたって、きっと。

 

私が好きなほどには好かれない、そんなことばかりで苦しい。だからわたしに興味がない人間が好きだ、最初から期待しないでいられる。本当にそうだろうか、本当はいつか興味を抱いてくれるんじゃないかって期待を捨てられずにいるんじゃないのか。いつだって虚しい、誰にも好かれないような気持ちになる、自分に自信がない。自暴自棄だ。いつだって一方通行で、過多だ。

誰かも私にそんなことを思うのだろうか、分からない、善意にはどこまでも鈍感なままでこうやって息をして、善意を踏みにじって、悪意にまみれていると馬鹿みたいに嘆いているのかもしれない。

孤独を愛する人間にはなれないから孤独の香りをするものを愛する。孤独になりたい訳ではない、なりたい訳ではないけれど、孤独だと感じてしまうのならば、愛したい。孤独だと思わない精神が欲しいとはそこで思わないのが、私のわたしである所以なのかもしれない。ある小説ではひとりでも平気な人間は特殊な性質のように書かれていたことを思い出す、少し表現が違うかもしれないがまあ概ね主流ではないといった表現であったように思う。なれないと思いながらも、なりたいと思い、そういう人間を愛してしまう。

青い芝をどこまでだって私は愛するのだ、持たないものはいつだって美しく見える。見えるだけかもしれないと、思いながらも。私のものを誰かも美しいと思ってくれるんだろうか、馬鹿げた想像だ。

 

欲求にだけ素直になった読まない本、繰り返し飲むチルド飲料とテイクアウトのカフェラテ、身体を蝕むニコチン、1杯淹れる度に塵になるコーヒーフィルター。

無駄なものが私の人生には多すぎる、節制出来るものたちが私の人生を形作る。この文章だって無駄だけれど、きっと書きたい内は書くのをやめられない。後でどうしてこんなものを書いたんだろうと後悔する羽目になったとしても。

全部削いでしまいたいのに、どれが欠けてもわたしが欠けてしまうような気持ちになる。いつだってそうなのだ、何だかんだ自己否定しながらも、自己肯定をしている。馬鹿馬鹿しい、無駄な考えだ。鈍感になるのを喜びながら、繊細さを失うのを厭うように。早くどちらかを諦めた方が良いんだろう。変わりたい気持ちか、変わらないでいたい気持ちを。どう考えたって後者を諦めたいのに、多分ずっとぐるぐる回り続けるんだろう。

結局、無駄なものを愛している。無駄なもののコラージュで私は作られている、ガラクタめいているのだ私は。全部無駄だ、棄ててしまいたいと喚きながらも、私を作っているものたちだから、捨てられずにいる。全部をこの両腕に抱き締めている。