比
どうしても自分の字が気に入らないので新しいシャーペンの芯を買った。
元から汚いのだけれどなんだか太ってしまって余計乱雑さが浮き出ている気がして嫌になってしまったのであった。
替えて安心したらまだ太っていて気のせいだったかと思ったら書くのに使っていたのが前のものであり抜いたらきちんと思い通りの濃さに落ち着いた。
馬鹿であるなあと思いながら字を書いていた。
ひとの気持ちというか考えていることが分かるのは言葉であろうね。
その言葉からすべてを気持ちをわかろうとすることは傲慢なんでしょうかね。
でも他のなにから気持ちなんていうものを分かろうとしたらいいのかわからないのだよね。表情とかそういうものよりやっぱり言葉からって思うしというかそれ以外からわかり得ないのではないかなと思うのである。
そうして思考の動きを矛盾であるなあと思ったりというか元をいえばこういう風に考えれること自体が間違っているとも思ったりしてどうなんでしょうね。
前提がおかしい議論は成り立たないというかそういう感じ。
すべてを他人を分かった気でいることは傲慢なんでしょうねくらいで留めておくべきなんだろうね。でもやっぱりぜんぶをすべてを分かりたいという気持ちはあるわけで難しいよねといった感じである。
しりたいわかりたい気持ちとわからないことはわからないよとする謙虚さみたいなものを大事にしたら精神的に安定するかもしれないよねと思ってみたりする小雨の昼。
真っ白一色の恰好の人が横を通ってどことなく連続殺人でも好んでそうな人がすきそうな恰好だねえなどと考える。
偏見というよりもファンタジーであってある意味可愛らしいのではないかな。
とはいえこの歳でこれであるから困ってしまうよな。きっと簡単にこういうことを思ってしまう癖はなおらないと思うわけであって一生のお付き合いなのかもしれない。
変わらないことは悪いことではないのだけれどそれはそれでなんだか嫌だなあ。
この時代にしか書けないものってなんだろうねと思ったりしてきっとそういうこの時代だからこそ書けたみたいなものってあるのだろうと思う。
この歳の頃っていうのは感覚として分からなくもないものであってとはいえ私にそれがあるかといわれるとまあ分からないよね。
後でわかることなのかもしれないねと思ったりもする。
でもこれは時代云々の話もそうなのだろうなあ。後でわかるのかもしれないね。近すぎてみえないものであるのかもしれない。
時代からは逃げられないわけでどこかに投影されてしまうだろうのではないのですか。
外に影響されない内なんてあるのかな。あるのかしらん。分かりませんね。