難
突然何かが駄目になって会社に行けなくなった。来週にはとりあえず行こうと思っている。一応そう思えている。行けるかどうかは知らないけど。
元専門のひとに話を聞いてもらった。うまく話せなかったけど大丈夫だと言われたから、大丈夫だと言うことにする。まあ良く考えると先月だかに行ったカウンセリングの人にも病院をすすめられたりはしてないわけで、やっぱり大丈夫なのかもしれない。状態によってすすめられたりするのかは知らないが。こちらとしては大丈夫じゃないよと思ってしまう部分もあるけど、大丈夫であってほしいとも思っている。本当は。大丈夫じゃない方が絶対に大変だもんね。大変なのは嫌だった。
とにかく自分に厳しすぎる、それを緩めようというのが両者の話で、だから結局そこなんだと思う。頑張ってきたと言われてもあんまり実感がない。頑張ってないと思っているからもっと頑張らないとって思っている。だからこうなっている。別にいまも頑張れてないのにね。実感としてよくわからない。結局自分を好きになろう、大切にしようという話で、いちばん難しい話だった。まあ否定しないところから始めたら良いんだろうなといつも思っている。思うだけ。
1週間以上休んでしまって、ご迷惑をおかけしましたって言ってまわる必要があるのかと考えると苦痛だ。思ったよりも仕事なんてどうでも良くなってしまっている。責任感が取り柄だったんだけどな。多分だけど。一切ご迷惑をおかけしてないとは思ってないけど、別になあという気持ちだ。申し訳なさよりも情けないなという気持ちが強かった。今はなんだろう、よく分からない。私がいないとまわらないことはないし、私がいてもいなくても変わんないよと思うから。なんかあんまりすいませんと思えなくなってしまった。それに私がいなくてまわらないならそれは会社が悪いよ。多分ね。でも実際私という労働力が1人分減っていて、私の分の仕事を割り振られている人がいる。とりあえず職場に存在しているだけで意味がある部分もある。それについてはまあ申し訳ないし、ご迷惑をおかけしてますとは思う。すみません、ありがとう。
泣いてばっかりで疲れるし、なんか常にざわざわそわそわした気持ちがある気がするけど、まあ適当にやっていくしかないんでしょう。大丈夫なはずだから。煽りすぎないように、低空飛行で。
祷
ただ少し、わかりやすく、大事にされたかった。浅ましい願いだ。人のことを大事にしたことがない。だから私は大事にはされない。当たり前の話だ。大事にするということが、何となくよくわからないと思っている。大事にされないから大事にできないし、大事にしないから大事になることがない。どっちが先か答えられない。
愛し方を知らないと思う。それは嘘だ。愛は与えてもらっているから。だから正しいのは愛し方がわからない、だ。いつも与えられても返せないと思っている。返せない。返したくないのだと思っていたけど、返せないのかもしれない。言い訳かもしれない。努力不足かもしれない。やっぱり何となくよくわからないなとどこかで思っている。そういう感情が少しばかり、欠けていると思う。
大事にされてないとは思わないけどと予防線を張る口に、大事にされていると思えない我儘な頭がある。信じられないのが悪い。大事にされているかもしれないから大事にされてないとは思わないことにしている。言い聞かせている。別に大事にされていると感じたこともないけど、もしかしてされてるのかもしれないから。感じ取れない私に問題があるだけなのだ。他人のせいにするんじゃないよ。お前が悪いんだよ、お前が、お前が、お前が。
大事にされていると思えたものはどうしたんだっけ。お前がしたこと、忘れてないよな。お前が悪いんだよ。だからそう、大事にされないし大事にできないんだって。よく知ってるでしょう。
誰にも愛されない自分を誰かに愛してもらおうなんて烏滸がましい。そんな言葉を繰り返し頭で呟いている。でも誰からも愛されない私を愛すなんて難しいよ。
誰かからは愛されているって思っていたほうが良い。ほんとうにそう思っている?誰からも愛されてないのに。まるで誰かに愛されているかのように考えていて滑稽だと嗤われてないだろうか。
嘘でもいいから、私がわたしとして必要とされたかった。いや、嘘は嫌だな。嘘でも良いけど、嘘じゃ嫌だった。信じられない本当をくれ。私がわたしとして必要とされていると信じられるようになりたい。大体が代替可能な世界で、私の唯一性を望んでいる。そんなものないのだと知っているのに。馬鹿みたいだ。でもそうじゃないと生きている意味なんてほんとうはないだろう。私がわたしとして必要とされるなら、それは生きる意味だ。残念ながら。生きる意味として私が認められるのってそれなのかもしれない。本当には生きる意味なんてないのだけど。祝福をくれ。
許
後悔ばかりがある。自分が悪いだけのことが山ほどある。どうしてこうなったんだろうは全部自分のせいだ。私が愚かだったから。それだけの話だ。
先のことを考えて苦しくなっている。努力不足だっただけだ。もっとちゃんとしておけば良かったのにね。今更だ。全部が。
死んだら全部解決するのになと思ってしまう。そういうのが良くないんだろう。出来もしないことを考える。でもいちばん楽なのってそれなんじゃないかなって本気で思っている気がするのだった。
し~
師も走る師走っていうの未だに好きですけど、これって何でしょうね。12月が来るたびに思ってしまう。何でだろう。
先月は一切何も読まず、その上観ずであって、ちょっと落ち込む。
強迫的にやるのやめてから消費量については諦めがある。もちろん強迫的にやらないと保てない数字であることについての多少の悲しみはあるのだけど。
何もしてないのに何も読んでもないし観てもないと本当に何もやってない気がしてしまうのだった。別に読んで観たって何かになっているとも思えないのだけど。気分の問題。
久し振りに爆買いをしたのでその内読むと良いよなと思ったりもする。いや読まない気がする。でも買わないと読まないから。まず一歩ですよね。買わないと当たらないのと一緒。
さっきゲームをクリアした。面白かった。
ゲームが下手でも読むだけなら何とかなるなと思う。操作にまごつきはしたけど。
爆買いといえば最近ノートを爆買いしている。こんなに必要ないのにと思いつつ、買ってしまう。自分が怖い。無駄遣いだと思っているけどやめられない。とはいえ書き出している時はそれなりに安らぎがあるような気がしている。その内使うんじゃないでしょうか。読まない本よりは安いし、ちゃんと消費する可能性がある。
結局これも同じ効果があると思うのだけど、一旦頭から取り出してしまうというのは良いことな気がする。言語化して尖る部分もあるからすべてが良いとも言えないとは思うのだけど。この程度ならまあ大丈夫な気がする。分かんないけど。
何となく調子が悪いなと思っている。めちゃくちゃド派手に落ち込んでいるとか、脳内で死にたいとか喚き立てている訳ではない。うすらぼんやりと具合が良くないというか、調子悪いなあという感じがある。バランスが悪くて座り悪い感じというか。これはこれでしんどいのだった。
冬だからか?と思ったりもしている。こんな土地に住んでいて、冬がメンタルに直撃しているなら嫌だなと思う。冬が嫌いな訳じゃないのに。
数年前に気絶するしか自分を誤魔化す方法がないと思っていたらしいのだけど(当時のスクリーンショットを発見して思い出した)今も結局それしかないのかなと思っている。どうしようもない気分になって何かに逃避するという誤魔化し方が効かない時は書き出すか寝るかしかないのかもしれない。まあ前者が無理なら寝るしかないということになる。
自分を誤魔化しているから、演じているから、良くないんだよという気持ちで、割と自分の思う地でやったりしてみると、それはそれで、気に食わなかったり、躁っぽいというか飛ばしている感じや元気過ぎる感じで、次の日ぐったりしていたりして、うまくいってない。
自分らしくあるほうがストレスなく生きられるはずなのにと思ったけど、自己否定の塊のタイプは自分らしさが気に食わないから、それはそれでストレスなのかもしれない。難儀だね。
人に好かれる経験をこれまでしてこないとこうなるんだなと思う。もっと若いうちに恋したり、恋されたりするべきだった。後者はまあ、どうしようもないか。
すべてがめんどくさい。興味がないひとからの好意って心底どうでもいいらしい。凄いな、知らなかった。わたしはとりあえず好きになられたら、好きになるタイプの人間だと思っていたのだった。どうも違ったらしい。申し訳ないけど色々考えすぎた結果、相手のこと嫌いだなとすら思っている。相手は悪いこと何一つしてないのにね。
これまで傷ついてきたことのすべてが仕方なく思えてくる。何故ならおなじやり方がいちばん良いように思えるから。同じようなことをやっていて、だから仕方なかったのだと。そして、やっぱり私は好かれていなかったんだなと思う。わかんないけど。同じ考え方なら、やっぱりそれが答えで、そうだよなあと思えてしまうのだった。そしてやっぱり私も同じ程度のカスなのだった。
一生懸命さが苦しい。自分みたいだから。だから期待させないようにしないといけないなって思うのだった。息の根をとめてあげないと。もう遅いのかもしれないけど。自分で自分の首を絞めた気がする。最初から無理って言っておくべきだったのだった。
いやでも真面目に考えた結果、本当に無理だなって思ったわけで、必要なことだったのかもしれない。あくまで私にとっては、だけども。
傷つけたくないけど、傷ついてもらわないといけないなと思っている。傷つけたくないというのは別に相手のためを思っているわけじゃない。全部自分がかわいいだけ。だって全部がめんどくさいから。断るのも、関わられるのも、とにかくストレスなのだった。半年くらい距離を置いてほしい。
自分の態度がとげとげしくなっている気がするけど、どうでもいいと思っている。大人げないな、嫌だなと思うのだけど、無理になっている。これ以上、無理になりたくない。関わられると無理度が急上昇してしまう。だから、関わってほしくない、傷つけば良いと思っている、近寄ってくれるなよと思っている。自分勝手だという自覚はある。そういう自分が許せるわけではないのだけど、関わるストレスよりもそっちの方がまだマシだと思ってさえいて、結局どこまでも駄目な人間なのだった。
これから先、好きな人ができたとして、絶対にこの興味のない人間からアプローチされることの有害性というか、好意って暴力なんだなみたいなことを考えてしまうのだろうなと思う。どうでもいい人間からの質問って何で答えないといけないの?になるし、どうでもいい話だとだからなんですか?興味ないんですけどになるんだなということを知ってしまったのだった。
別の理由で連絡とるのを控えていたけど、好きだったひとに連絡をとれなくなってしまっている。良くも悪くも学びではあった。良い経験ではあるよね。勉強になりました。
眠いし、気分が落ち込んできた。寝ます。
耗
気が付けばもう8月の終わりが見えている。何もなくても時間は進む、老いていく。終わりに近づいていく。
よくわからないまま文章を書いて、提出した。もう今後の人生でやらなくても構わないなと思った。やっぱりそういうことは好きじゃないらしい。私は向いてないことがわかっている。どうしてもやりたくなったらやるくらいの距離感でしか居られない。だからこそ、やらないと生きていけないようなそういう人間が魅力的に見えてしまうんだろうね。
映画を観に行きたくて苦しみながら観ていた。もっと前から観れたのに。ギリギリで無理矢理やるみたいにしかやれないらしい。学生の時の試験前みたいな気持ちになっていた。もっと日頃から勉強しておけばよかった、みたいなやつ。映画鑑賞で、別に誰のためにやっている訳でもないのに。
肌荒れが酷い。顎の方だけなら良かったのに。未だにマスクをつけている。しかし今回はおでこだ。数年前の悪夢を思い出す。早く皮膚科に行けば良いのに。腰が重い。最近は泣くことが多いからそれのせいなのかもしれない。ホルモンバランスが悪さをしているのではないか。いや関係ないか。
生きているだけでいいんだよと言われて、涙が止まらなかった。初めて言われたわけでもないのに。馬鹿みたいだなと思う。でもそう言って欲しかったんだろうか。良く分からない。そう言わせたことが情けなかった。それも悲しかった。生きているだけでいいわけないのに。できないことが多い、同じ年のひとに比べて幼くて、しょうもない。恥ずかしい。でも生きているだけでいいなら。ほんとうにそう望まれているなら。きっとそれっていいよねえ。他人からじゃなくて、自分が本当にそう思えたらいいんだけどな。
駄目じゃないよって言い聞かせるのは苦しい。お前は駄目だって声は大きいから。ずっと駄目だって思ってきた。今だって駄目じゃないところを見つけるほうが難しい。どこか言えって言われたら出てこないけど。駄目じゃないって思うのは嘘つきだ。欺瞞だ。駄目なのは私がいちばん知っている。でも本当に駄目なのかな。駄目じゃないところだってあるはずなのに。きっとどこか良いところだってあるはず。分からないけど。だから、とりあえず、嘘だけど、駄目じゃないよって宥めてみている。あんまり効果はないけど。
今も変わりたいなと思っている。でもその前の時点でつまずいているらしい。難しいな。感情が邪魔だとか、そういうしょうもない気持ちは今もある。感情が悪いのではなくて、例えばそのあとの行動が悪いとか。感情そのものが悪者じゃないのはわかっている。わかっているのに、いつだって悪者にしてしまう。たぶんその方が楽だからだ。駄目だから変わりたい。けど駄目だと思うのは駄目だ。そういうしょうもない言葉のなかをぐるぐると周っている。
頭のなかがうるさい。嫌なきもちでぐちゃぐちゃになる。そんなことをずうっと繰り返している。苦しいと思うとき、しあわせになりたいと思ってしまう瞬間がある。しあわせって何だろう。馬鹿げている。でもほんとうはしあわせになりたいと思うことも悪いことじゃないんだろうな。でもやっぱりしあわせになるってどういう状態か良く分からないなと思う。どうしたら満足するんだろう。どうしたってしあわせにはならないんじゃないかしら。とりあえず、頭のなかが静かになって、苦しくなければ満足できる気がする。でもそれも十分に高望みな気がするね。
すきなひとが辞めるらしい。単純に接触回数が減れば、好意も薄くなるかもしれないという希望はある。それを希望と呼ぶのは少しおかしい。でもやっぱりすごく自分のメンタルが不安だ。どうなってしまうか良く分からない。自分から連絡を絶つべきだと思っている。でも何も変えず、好きなだけ連絡して、あちらから絶たれたらそれまでという考えもある。多分後者を選ぶのだろう。結局どっちにしても傷つくのだ。納得性は自分のなかでは後者の方がある。ちゃんと拒絶されたら、それはちゃんとした終わりだ。結局、見込みがないと言いつつも、自分で終わらせる強さはない。浅はかな期待がある。期待があるのは映画に行ったり、ご飯に行ったりしているからである。友人だってやるんだけど。別に友人になれたら、それはそれでいいのかもしれない。どうかな。楽しかった記憶なんて全部なくなればいいのに。
再来月の今頃、どうなっているのか良く分からない。元気だといいな。
日
最近は調子がいい。調子がいいと思い込みたいだけで大して本当は良くないのかもしれないけど。それでも一応調子がいいと思っている。死にたいとか消えたいとか苦しいとか、あんまり考えないで済んでいる。時々はすっと、ぬるっと出てくる。うわ、生きてるのつらいな、みたいに。でもそれぐらいのことだ。それでもどうしようもなく、それしか考えられない、みたいなそれが1ヶ月位ないのだ。驚き。メンタルが強くなりたかったなとかも思わなくなった。そう言ってるのをみると大変そうだなと思っている。何でだろう、よくわからない。別に何かがあったわけじゃない。だから考えないでいられる理由がわからない。明日またそれに襲われるかもしれないし、襲われた時に立て直す方法もわからない。わからないけど、それでもないのはありがたいなと思う。とりあえずは。揺り戻しがこわくはあるのだけど。
私は他人に厳しいなと改めて思う。毎日思っている。仕事中、気に食わないことがいっぱいある。母親にはお局様って感じと言われた。思わなければもう少し楽なのになと思う。言わないから。思っても言えないのが私の良いところで悪いところなんだろう。言いたくないのに、目に付くから苦しくなる。言ったら返ってくる可能性のある馬鹿げた物言いを想像すると、気分が悪くなることを返されるかもしれないのに、わざわざ頑張る意味を感じれないなと思うのだ。言うほうが苦しい。我慢して言わないよりも。我慢のほうが苦しいからと伝えた時のやり返しが多分ずっとしこりとして残っている。今だって正しいことしか言ってないと思っている。言い方が良かったかはわからないけど、内容だけでいえば正しかったと思う。常に、というのは危険ではあるけど、私のフラストレーションは間違ってないと思う。正しい。でも正しければ良いわけでもない。そう思うから言えないなと思う。もっと優しくありたい、他人に。私は私のために、他人に優しくありたい。
最近、他人のこと、うっすら嫌いですよね、と言われてそう見えているんだと思った。インターネットをやっていると、あなた程度で人嫌いを名乗るなよという雰囲気を感じる。だから私って本当は人のこと好きなんかもと思うことにしていたのだけど。他人の良かった話とか全然しないですよねと言われて、確かになあ、出てこないな、と思った。別に良いことだってあるんだけど。大抵は良いことで記憶に残らなくて、悪いことだけが印象にあるだけで。まあそうじゃないひともいるんだろうけど。
よくわからない質問をされて、答えてたら何言ってるんですか?って言われて、今って何聞かれてます?って言ったらえ!?みたいに言われたのを脳内で弄くり回している。結局会話自体は聞き返して、相手が聞きたかったことに対して答えられたから良かった。私が悪かったんだろうか。ちゃんと聞かれてる内容に答えたいから切り返すのはしょうがないよねと思いつつ、何だかすっきりしない。なんでそんなことになったのかよくわからない、あと何に引っ掛かってるのかもよくわからない。多分その人との相性が良くないんだろうなと思う。でも私と相性がいいひとってあんまりいないのだ。だから大抵の人間が気に食わないんだろう。ただ仕事でそうなのは変に偉くなってしまったからだろうと思っている。別に大して偉くもないのだけど。プライベートはわからない。もう数年そういう人間関係がないから。ロールモデルというか、尊敬できる存在がもっといて、頼れる人がいたら、もう少し違う気持ちで居られたんじゃないだろうか。気のせいかもしれない。でもやっぱり中途半端に上みたいな、この位置がきっと良くないんだろう。きっと早くここから去ったほうがいいんだろうなと思う。
生
この世は楽園ではなく地獄で、そこで歯を食いしばって、時々笑って生きていこうと思う。そう思える時と地獄なんてごめんだと、逃げ出したいと思う時があって。何もかも諦めて、適当にして、何となく生き延びれたらそれで良いじゃないのと思う時もある。
死にたいと初めて思った時のことはよく覚えていない。小学3年生の頃、窓の側に立って、死ねたら良いと思っていたことだけは覚えていて、だから最低でもその頃にはすでにそういう願望がちらついていたのだろうとは思う。
今まで死なないでいて、生きてきて良かったねと思う気持ちがないといえば嘘になる。そのまま明日も生きていたら良い。別に生きていて良いことなんて何もないんだけど。それでもそう思う。
でも全部砕いて、めちゃくちゃにして、何もなかったことにしたくなる夜が、昼が、朝がある。こんなにも死にたいと思うのだ。黙らせ方や目を瞑る方法がわからなくて、だから思う死にたさは短絡的だって、愚かだって笑うかもしれないけれど。私も笑ってしまうし。でもやっぱり死ねたら良いのにと思うことをやめられない。
それでもやっぱり死ねなくて、だから明日も明後日も来年も10年後もきっと、多分、自分で終わらせることのない人生を過ごしているんだと思う。それで良いんだよって笑ってくれるひとだってきっといる、いるんだろうと思う。信じがたいことだけど。それでもこんなに死にたいと思うのに生き延びていることを恥じている。自分に対して生きていてごめん、死んであげられなくてごめんと思う。だからもう死にたいなんて思いたくないのに。
それでも今日もうっすら死にたいと思っていて、何だかもう駄目で笑ってしまう。