夢を見るには
遅すぎた、そうでしょう?
20年生きていて、夢中になれたものって何があるんでしょう。
唯一それにあたると思えたものはあったものはとっくに捨て去ってしまって、残ったのはなんでしょう、思い出のみでありました。
酷くしょうもない理由でゴミ箱に捨てました。別にそれで何かになりたかった訳ではないのです。捨ててしまっても、何とも思わないと思ったのです。
ただ、頑張れたという事実は私にとって、良かったというそういう良い気持ちはくれました。
踊ってみて、と言われてもどうにも出来なくて、だってもうあんな風に私は回れないし、跳べない。今だってやった基礎練習、覚えています。
頭の中では私は今でも踊れます、それはもう、当時の自分よりもずっと上手に踊れるでしょう、だって頭の中なのですから。
それでも、柄じゃないでしょうと笑って、それくらいのものです。
大して上手になれませんでした。素質もなかったのでしょう。
でも本当は思っていました。私よりも好きじゃないのにどうしてそんなに上手なんだろうとどこかで、思っていました。
勝手につけたレベル、自分に近しいレベルと思った子と比べて、どうしてと思いました。私だって努力しているのに、どうして私よりもそんなに褒められるのだろうと、思っていました。
それなりに頑張っていたつもりでした。それでもやっぱり埋められないものが、ことがたくさんあって、それはこれからも続くのでしょう。
それでも好きになって、少し上手にはなれました。良い経験も出来ました。それで私は良かったのでしょう、何かになりたかった訳ではありませんから。
わたしには何もないのです。特に好きなこともありません。
強いて言えば、本を読むくらいです。生産性がなく、誰とも比較せず、落ち込むことがないことが好きです。誰にも叱られないものがすきです。
そんなものの何が良いんでしょう。本当は分かっています、馬鹿馬鹿しいことです。好きで夢中になれるものが欲しかったです。
続けられるか、そんなしょうもないことに囚われて、足踏みして、何が一体楽しいんでしょうか。