静電気

また5月がきたよ

どうにも

 

最近は習慣化されたと思っていた事が悉く出来なくなってしまった。

自分に色濃くついたものだと思っていたものがぱりぱりと剥がれていくようなそんな気持ちがする。

それが不安であるとかそういう訳ではないのだけれど、変化なのだろうかとも考えたりしているのだった。それともただの怠け癖というか飽きてしまったのだろうか。

まあどちらでも良いことではあるね。とはいえしなくなったことによる不都合もないわけではないので、ちゃんとしたい気持ち。

 

わたしには何というか、頭が悪いという事と考えない人であるという自信だけがある。

だからか考える人に憧れるのであって、己の考えない部分が好ましくないからだろうね。

考えないとはいえ考えられる人のしんどさのようなものを時折感じてしまったりするのはどういう訳なんでしょうね。

そういう時には考えてしまう性質というのはという馬鹿みたいな事を思ってしまう訳である。自信がある部分でさえもそんなにも危うい。

 

きれいな文章というのはなんだかしんと沁みていくようなそんな感じがある。目の前がぼやけてきたと思うと涙がこぼれてくるようなそんな感じであって凄いね。

誰も居ない家でソファに丸まるように横になって読んでいたのだけれど、泣いて読み終わった後、白い天井をぼんやりと見ていた。

しんと静かなような何とも言えない気持ちになっていた。

他の作品を読んだときもあったのだけれど、動かされている自分とその自分を眺めている酷くさめたような自分がいるような気がして不思議な感じがする。

 

文章の中には展開と相まって、鳥肌がぶわっとでて引かないようなものもある。

あれもまあ凄い訳で、本を読みながらあの状態に陥れる瞬間というのは結構幸せなことである気がする。私はとてもあの瞬間が好きであるよ。

ぐいっとひきこまれている感じがとてもする。

文章をどれだけ視覚イメージにおこせるかというか、私は映像を思い浮かべながら読むタイプの人間であるので、鳥肌をたてている時というのは朧ながら図を脳内で結んでいる気がする。

思い浮かべようと思って意識的にしているというより浮かんでくるというか無意識的な部分が強い気がする。なのでたくさんの映像が脳内で結ばれている時は結構入り込んでいるのではないかなと思うのだけれどどうだろうね。

 

毎日ひどく眠い。

時々すべてが遠くのことのように思われて笑いそうになる。