映
何もかもが上手くいかないのであって、上手くいこうとする気持ちが悪いのか、それでも諦めない気持ちというのも大事なのではないかという気持ちが混ざり合っている。
しかしながら、今までの人生上手くいっていたのかと聞かれると、それも何と言えば良いのか、という感じなのであった。
あと1冊で20冊読んだという事になるのだけれど、こういう状態ってどうだろうね。
義務的消費というかこういう気持ちで読んでいて良いのかという疑問が湧いて、それが頭を過っていく訳である。
読書というよりも消費というかそんな心地がするのであった。
勿論、義務的な所というか、読まねばというところから始まって、ぐいぐい惹き込まれていって読み終わるという状態ではあるのだけれど、なんだかな。
本が欲しくない時ってあるの?と尋ねられ、そんな時なんてない!と声を大にして答えるのであった。出版は止まらないし、過去にある本はいつだってそこにあるのだし興味は尽きない。
時間がどれだけあっても足りないね。
そう思えるという事は、とてつもなく幸せな事なんだろうなと思うのであった。
あと1冊と今読んでる本が読み終わったら解禁にしようかなあとかあと1冊だけにしようかなあとかそういう事を考えているのはとても楽しい。
やっぱり読書計画みたいなものをたてている間も楽しいのである。
それの通りに読んでいるのかというのはまた別の話なのであるが。
とても好きな海外小説がもとになった映画があるのだが、その原作を書いた人の以前の作品を読んだ。原題がぴったりであるなあと思う。
あれを書いた人だなあと何となく思ったのだけれどもどこがとは言えない。
かつ知ってるから買った訳であってきっと気のせいなのだろうな。
これは映画化しづらいのではないかでもしたら観たいよなと思いながら訳者のあとがきを見れば映画化の予定と書いてあって、おやと思う。頓挫したのかしらんと思えばそうでもないらしく、それどころか今月放映らしい。
勿論地元や近辺では見れません。残念。
出演する女優さんが結構有名な人であってわあという感じ。まあ少し考えていた雰囲気とは異なっていたのだけれど。
それでも観れる日が楽しみであるなあ。
そうですね、頭を使うというのがとても向いていないのだなあと思う事があって、厳しいなあと思うのであった。
型に当てはめてしていくそれはどちらかというと楽しい。とはいっても、出来ている訳ではないのだけれども。自由な思考というか学問というか研究というものが向いていないのだろうなあと思わされている。
こんなに駄目であるのかと愕然とするのであった。
分かりたい事って何だろう、そんな疑問が頭を埋め尽くしていく。分かりたい事って何ですか、そんな質問が首を絞めてくる。
自分を追いつめるという行為はとてつもなく簡単なのである。