静電気

また5月がきたよ

どうか、

 

生活習慣はずっと良くなった。良くならざるを得なかっただけではあるが。こんなに簡単に馴染んでいくのかと思うと、不思議だ。日を跨がないと寝れないと思っていたのは、勘違いだったらしい。

 

毎日、起きて食べて行って働いて帰ってきて寝て、それの繰り返しだ。これが永遠とも思える期間続くのだと思うと、思うとなんだろう。

まだ良く分からない、簡単なことしかしてないからかもしれない。

思ったよりも世界は優しくて、複雑で、辛い。私はどうなっていくのか、まだ良く分かっていない。あんなに拒絶されていると思っていた世界に、思ったよりも溶け込んでいるような気持ちでいる。

拒絶していたのは私であって、世界はそんなことはしてなかっただけなのかもしれないけど、でもやっぱり世界は私を拒絶していたと思っていたし、今だってどこかではそう思っている。

 

今日から超大型連休が始まってしまう。何をしたら良く分からない。この休みを楽しみにしていたようで、私はこんなに休んでしまうことをどこかで恐れている。

退社する前にまだ物が全然ない、まだ私のとは思えないデスクを見て、このまま連休明けにここに来なくても何も困らないのではないかと思った。無くなって困るものはここにはない。

大型連休は意外と予定が入ってしまって、旅行は難しいことになってしまった。それは少し心残りだ。夏にカラッとした気持ちで会いに行けることを望んでいる。きっとあっちの夏は辛いだろう。

友人たちとの予定、同窓会めいた何かなどがある。同窓会めいた何かがどうして今になって開催されるのか、どういう風の吹き回しなのか。多分人にとって、ここは人生の節目なのだろう。いや分からないけど、私にとっては節目である。どうして開催しようという発想になるのか、私が根暗であるから分からないのか。とりあえず空気を読んだ風に参加をする、これで正しかったのか。

友人との予定は嬉しい。嬉しいが、やっぱりこの人はもうここには関心がないのかもしれないと思うのが、辛い。過去に縋ってしまうのは醜いのだろうか。飽きてしまいましたか、そんなこと聞けやしないけれど。私は私の周りの人を多分、それなりに愛している。私の人生の輝いていたと錯覚できる日々を守りたいんだろうか。押して駄目なら引いてみろ、が実践できない私である。

予定はぼんやりとした煙のようで、掴みどころがない、予定は未定だ。計画性など犬にあげてしまった癖に、あんまり曖昧なものが好きではなくて、何という我儘。あと、どちらかというと優柔不断なのだ、何も決められない。決められないからこんなところに居る。

 

決められないといえば、長期的な、あるいは中期的な目標はあるのかと聞かれて、何もないことを知った。本当か、本当に何もないのか。本当はあるよ、そう出来たらどれだけ良いだろうか。でもいつか変わってしまうかもしれないし、恥ずかしくて言えそうにない。話題の強引なすり替えを下手だが、良くしてしまう。だって、あなたに教えてあげられるような目標は何もない、だってそれだとここを捨てるしかないのだから。

 

今日はあまり上手くいかなかった。共感を求めて生きるのは面倒だ。どんどん優しくなくなっていく、自分の感性が厭わしい。

本は3冊買って、1冊読み終わった。連休中に何冊か読んでしまいたいけれど、結局積む方が多くなることが予想される。文字であれば何でもいいのであれば良いのに。

 

どうか正しい世界との踊り方を私に教えてくれ。