静電気

また5月がきたよ

既に10月も後半ですね、時の流れというのは早い。

 

今日は映画を観てきた。キャパが狭いので、1つ強い何かを与えられると、それのことしか考えられなくなってしまう、今はその状態。

面白かった、正直ノーマークだったので行って良かった。車に全然興味がないのだけど、カーチェイスはやっぱり恰好良いね。主人公の感じ、凄く好きだった。

表現する言葉を持たないのは、本だけではなく、映画についてもだった。

 

本は現時点で、今月3冊しか読んでなくて、とても驚いている。

忙しいというのもあるけど、今まではこんなことしている場合じゃないのに、と言いつつ読んでいたから、あまり理由にならない。

あと、あまり読みたいという意識もなく、無駄な積み読本も増やしていない。焦って読む必要もないけど、良く分からない不安感がある。そんなことで不安になることはないのかもしれないけど。

 

眠いので、寝ます。

 

書く

書く練習や、と思って、先月読んだ本について、書きたい本について、バババっと書いてみる。なんだ、意外と何か思ってるやん、と思えて、嬉しくなる。嬉しくなったが、脱したいところからは、1ミリも脱しておらず、ウーンとなる。まあ、現物を見ず、思ったところを書いているわけだから、こんなもん、こんなもんでいいんか、と思うが、まあ一歩よ、一歩ずつよの心意気。

読んだ記憶のみではない、何かしらの残留物をかき集めれるか、みたいなところがあって、そこはクリアしてるといえるんではないか、いってあげたい、クリアしてるよ、と。そんな低いところで、考えてて良いんかね、という気持ちもある、あるがそう言ったってね、書かない人なのだから、書くようになるところからやっていくしかないわけよ、一歩一歩よ、焦ったってしょうがない。まあ、続くといいし、バババっていうのをしっかり(しっかりってなに?)書きたいわよね、そのうち。

まあ、何を書くかも大事なんだけど、こんなものを出して、一体どう思われんのや、嫌われるんやないか、的な考えをやっぱりどうにかしないといけないわけであるよな。そこよ、結局、実はそこなのよね。

みんな結局、そういう自分がすきなんや

何も思わんとこを変えたいんであって、伝えたいんではないのやった、別にレビューがしたいんと違うのやった、思って、できたら言いたい、ついでに言えたい。

面白かった、良かったのわけを言いたい、なんでなんか、どうしてなんか、全部分からんでいいけど、はっきりさせたい。

でもどうせ、フーンで終わるし、それでいいんやないのか、別に誰かに伝えたいわけでもない、わけでもないはずなら、別に今まで通りで、悩む必要なんて、ないんではないか。結局、ぐじぐじしたいだけで、ほんとは変える気なんて、更々ないんやないか、だってそんな自分が好きなんやないんか、楽なんやないんか、こんなんで悩んでるのはアホらしい、自分のこと考えたって、何も分からん、駄目、アホ、そんで終わり。努力しましょうね、頑張りましょうね、終わり。何も楽しくない、無駄や、よく生きるからは程遠い、賢い方々はよく生きれば良い、アホでは無理。そうやって、ずっと、逃げていれば良い。

周りの人が変わって、身の丈に合わんことを思っている。身の丈に合わんことじゃないよ、という人もいるかもしれん、良くないんや、こんなこと、考えたくなかった。こんなこと、悩みたくなかった。アホらしい、面白かった、良かった、で良いんじゃないんか、それで満足してる方が、幸せなんじゃないか。分からん、なんも。

きちんと、読むってなんだろう、どうしたいんだろう、何かを伝えたいっていうより、何かを考えたい、思い付きたい。

レビューを書きたいとかじゃなく、読んだと思いたい、ぼんやりふんわりして消えていってほしくない、どうにかして残したい。

笑われんのがこわい、間違ってるっていわれんのがこわい、いう人は悪くない、私もほんとは悪くない。でも、やっぱりこわい。否定されてるわけじゃないのに、こわい。

結局、自分に自信がない、自信がないというより過剰な自己卑下が正当である錯覚(本当に錯覚なのかについて考えるときりがないので、置いておきたい)が根っこにがっしりあって、そこから逃げれんのがあるのも分かっている。

自分より下がいるのも、下がおらんのも、あんまり変わらなくて、考えるときりがない。自己卑下には終わりがない、終わりがなくて、意味がない。あんまり妥当性がない。上の人にも上がおって、下の人には上がおって、上と下の間に挟まってる人がおって、ほんとのところ私は間に挟まっておる人なのである。自分でどんだけ私は下や、下なんや、これより下がおらんのやといったところで、本当は下がおるはずなんや。下とか考えたくないけど、ほんとはおるんや。ほんで、上からみたら全部一緒や、一緒なんや、多少差はあると思うが、結局一緒で全部下なのや。

私が最も劣っていること、そう信じておるが、本当はそうでもないはずなのや、はずなんよね。分かっている、分かっておるが、そう信じたって、意味がない。それは逃げで、逃げですらないんかもしらんくて、とにかく意味がないのや。

変わりたいなら努力するしかない、鍛えるしかない、みんな賢いからねと言っている場合じゃあない、ないのだ、ないんだよ、やるしかない。やるしかないって言われると、涙が出そうになる。やるしかないって、分かっているのに、やってないから、恥ずかしくてしんどいのだね。やってしんどいのと、やんなくてしんどいの、どっちがいいんか、いいのか、ほんとは前者、前者が良い。楽なのは後、恥ずかしいけど、ほんとに恥ずかしいことなのだけど、グズグズと言い続ければ良い。可哀想がっておればいい、本当に自分はかわいいね、かわいいのだ、じゃなかったら、そんなの言わんの、言わんのだ。馬鹿な自分が可哀想で、かわいい。

話がゴロゴロ転がって、一体全体私は何を言いたいんか、本当は言いたいことなんて何もないんか、良く分からんくなってしまったが、まあとりあえず、私は変わりたい。変わりたいんや、遅いけど、変わりたい、遅くないのかもしらん、変わりたい、このままは嫌なんやよ、どうにかしたい、どうにかなりたい。何にもなれんのは分かっておる、上になりたいのではない、人並みになりたい、それは上になりたいのと上になりたいのとは変わらんといわれたが、人並みになりたい、本当は人並みじゃないのかもしれん、人並みっていうのは自分がまあ良いやと思うラインであって、きっとそれは上になりたいのと求めるところが一緒や、きっと私の良いやは高い、高いはず、それでもやっぱり、変わりたい。

 

寝て、起きて、何か変わったかというと何も変わっておらんのですね、まあ変わるわけがない。本当に頭が悪そう、といわれてるアカウントを見て、こわいなあと思う、頭が悪いと直接、本当にいわれるのはこわい。頭が悪いのは、良くないことなのや、それだけでもう終わり、終わりであるのだ。知らんことを知ってるということ、知らんことは恥であるということ、恥ずかしいことを知ってるということ、何も知らんで呆れられるのが、まとはずれなこといって呆れていかれるの、呆れて離れていくのが、嫌われるのが、ほんとにこわい。嫌ってすらもらえんのかもしれん、そんな人いたか、となる、消えてなかったことになる、後でこんなアホもおったわねと思い出されるかも分からんけど、切ないわ、なんていうかこういうのを、考えて、動けんの、頭悪いのや。そういうのを考えて、なにも言えんし、なんも言わん、窮屈な生き方しておるのかもしらんね。

そろそろ、まじで、何が言いたいんか、とっ散らかって、どうしようもなくなっておるな。結局、こうやって、グズグズとしておるだけなのか、そんでお前はいいんか、何とかしないかんのじゃないのか、そういうことよ、そういうことなんよ。ずっと同じところで、ぐるぐると回っておる、ぐるぐるしておる。永久機関になりそう、永久機関が良くわかっておらん、イメージ、フィーリング、文字列優先。

何をしたら良いんか分からん、分かっておるが、良くわかってないのだけど、今までと一緒では駄目や、変わりたいんなら、駄目なんやよ。まあ、頑張るしかない、頑張るって便利な言葉やね、ぼんやりしている。一緒に並ぶなんて、絶対無理で、どうなりたいんやろ、周りからどう見られたいんやろうか、分からん、なんも分からん、分からんでは駄目や、どう見られたいとかじゃなくて、いやでも、結局どう見られたいか、それにつきるのやないか。自分が納得できるか、できんかって、結局、他者からの視線が絡んでくるんじゃなかろうか。

分からんけど、変わりたいっていうんは、思っておるのである、思っておるんやね、きっと。

 

とりあえず、1つに失敗してしまった訳です、元気です。

とはいえ、本当に失敗してしまったかは私の世界線では分かりませんから、違う世界線で、もしかしてうまくいった私は失敗したと後で思うのかもしれない。私はそれを観測出来ないから、結局失敗したと思ってるこの世界線のことしか分かりようがない。だから、やはりそれを失敗とするしかないのかもしれないけど、将来的に良かったことになるかもしれなくて、他の世界線に期待する必要もないのかもしれない。

とにかく、乗り越えるしかない訳で、世界は進むし、私も進まざるを得ない。たくさんの私が居れば、そこに留まり続けても良いのかもしれない。世界のすべてに逆らって、そこに留まり続けるのだ。でも、それが何になるんだろう。

なので、少しだけ前に踏み出している。気持ちだけで何をした訳でもないのだけれど、心の支えとして抱えて、前に踏み出そうと思っている。結局、疑えばそれも嘘なのかもしれなくて、偽物の何かを本物だと勘違いして、ぎゅっと抱えているだけなのかもしれない。だから、こんな疑いを抱かなければ、ずっと本物だと思っていられる訳で、私の気持ちをどうするかだけだ。

 

怒ったり、言いようのない気持ちに捉われたり、面倒くさい。失いたい部分筆頭であって、でもそれが私の個性な気持ちもする、しかしですね、そんな個性要るのか。私は要らないと思う。

人への興味を失ったら終わりな気がする、そうやってしか関われないのか。怒ったり、そんなことは面倒くさくて、意味がない、怒ったって無駄だし、言いようのない気持ちは言いようがなくて、変に蓄積して、外に出す時は面倒なことになる。すべてが面倒で無意味でしかなくて、無駄だ。こんな表現も下手くそで無意味な気がする。人生になんて意味がないと思うけれど、そうであったってこんなに無意味なことは本当に意味がない。

フラットな状態に対する憧れと、恐れ。恐れというのは、そうなってしまえば、自分に意味がなくなるような気がするから。今この状態に意味があるかは分からないけれど、本当につまらない人間になってしまうような気がしてしまう。今が面白くあれているかというと、決してそんなことはないと思うが。

まあ、とにかくこんな面倒な気質は誰か代わりに貰って欲しいが、そんな人とやっていくのは遠慮したい。

 

 

めちゃくちゃにしんどいのだが、どうしてだか良く分からない。

図星というか、真っ当過ぎてしんどいのかもしれない。優しい振りだと感じているからしんどいのかもしれない。というか、全部なのかもしれない。優しい人は嫌いだ。優しさは嫌い。厳しい方がずっと優しい。優しくされるとつけ上がるのだ、人だから。

何を書いているのか分からなくなるかもしれないけど、結局、書くのって良いのだ。良いんだよ、開かれていて閉じている。

 

あなただから大丈夫、なんて嘘だ。一次的な保留で、気の迷いでしかない。自分だってやるだろうけど、嘘だ。私はきっとあなただからは、いつか大丈夫じゃなくなるんだと、どこかで知っている。

受け皿はいつかいっぱいになってしまって、そんなのなら最初から受け止めてくれない方がずっと良い。中途半端に優しいなら、中途半端に厳しい方が良い。尊重なんてことば、大嫌いだ。とはいえ本当は、受け止めて!もう全部!てな時もあるわけで、自分勝手な気持ちでしかないこと、分かっているのだけど。

 

久し振りに死ぬ、ということについて、昼間に考えていて、まだそういう考えは少しだけ残っていて、本当に消えることはあるのだろうか、などと思ったりする。急に、死ねば全部なくなるんだな、とふっと、浮かんで、溶けていった。本当に久し振りだったから、少しだけ、驚いてしまったよ。

他人のことを考えている間は、自分のことを考えなくても済む。自分のことを考えると、最終的に死にたくなる。だから、自分のことなんて考えない方が、私は幸せだ。

思考は自分を幸せにしてくれない。頭の良い人はみな、病んでいる。病んだ天才より幸せな阿呆の方が、きっと、ずっと生きやすい。私は頭が良くもなければ、天才でもないが。

 

自分が何をそんなに気に病んでいるのか、分からない。分からない、自分のことなんて、分からない。じゃあ誰のことなら、分かるんだろう。人のことも分からない。

嫌いなところを見つけるのは容易で、好きになることは簡単で、でも嫌いになるのは難しい。みんな、嫌いになってしまいたいのに、どうしたって出来そうになくて、私はどうしたら良いのか分からない。好きなままでいるしかない。

結局、私だって自己否定を繰り返しながらも、肯定されたいだけの自己愛者でしかない、気持ちが悪い。人を否定したら、自分は守られる。みんな嫌いな気持ちになれば、私は自分を嫌いにならないで済む。だから、こういう時は本当にもう、みんな嫌いだという気持ちになる。本当は自分が嫌いになれば済むんだけど、そういう話なんだけれど、でもだって、自分のこと、嫌いだけど好きで、本当に嫌いになりたいんだけど、そういう訳にもいかない訳で、誰かのせいにしたいんだよね。

自分は恥ずかしいのだと、思わずに済むのに、でも本当は恥ずかしいんだって、分かっていて、どうしようもない。変わらなくてはいけなくて、変わりたくなくて、だからひとりで居たいのに、そんなことは出来はしない。ひとりで居たら、変わらずにいれるのだろうか、それだって、間違っている。

 

女であることとかについて考えるよりも、女であることがきちんとできていなくて、げんなりする。どうして、そんな簡単なことさえ出来ないんだろう。醜いって、恥ずかしいって思われている。思われているんじゃないかと、思っているだけだけど。

私は変われるんだろうか、変わりたいんだろうか、分からない。自分のこと、駄目だって、本当に思っているんだろうか。分からない、全部分からない。本当は、分からないって言ってれば、良いと思っているんだろうか。

引け目はずっと感じているのに、どうしたってどうも出来なくて、本当のことが分からなくなっていく。私は私のままで、駄目なままで良いんだろうか。そんなことで、良いんだろうか。変わらないことの方が、ずっと、辛いんじゃないだろうか。

 

私は間違っているんだろうか、自分のために、って一体何なのだろう。そういう気持ちでいれること、大事なんだろうけど、そんな大事よりももっと大事なこと、あるんじゃないだろうか。だって、私は少数な方だと思われるし、マイノリティは拾われるべきなのだけど、でもだって、常識的なものの中で、マイノリティどうこうってやっぱりなんだか、間違っているんだよ。ここでいう常識は、もう、疑いようのない、ぴしっとしたものについてであるから、マジョリティ優先であって、良いのだ。常識を疑えというものでない、ということは、やっぱり駄目なのではないの、というか、駄目って一体何、間違っているとかそういう話なんだろうか。なんかそういうの、被害者意識的なものが強くて嫌だ。

私のなかの大事、の比率がいちばん大きいものについて考えていて、今は分かるけど、以前は分からなくて、じゃあどうして、蔑ろにしてきたんだろう。私はどうして、女であることを大事にしてこなかったんだろう。過去のこと、どうこういったって仕方ないのに、もっとどうかできなかったんだろうか、そういう思い。

誰も私のこと、駄目って言ってくれない。これで良いんだと勘違いしていた。駄目って言われたくない、肯定されたい。でも、嘘ついてまで、肯定されたいかな。いやでも、嘘でも肯定してほしい時ってあるわけで、いまがその時じゃないってだけで、それってとても我儘じゃないのか。でも、駄目って言われることって大事で、だって私の世界は私だけのものだけれど、私だけの世界で生きてはいけない。勘違いがいちばん恥ずかしい、いまなら死ねる。絶対死なないけど。

 

f

 

3ヶ月ほど何も書いていなくて、書こうと思った。他のもので日記を書いていると、書かなくなってしまいがちだということが分かった。がちというか、実際書かなくなっていた。2ヶ月続いただけ、続いた方だと思う。毎日書くものとしては、最長ではないだろうか。結局、日記は書かなくなってしまった。まあまあ楽しかった。再開したくなったら多分するんだと思う。

 

何にしていたのかあまり思い出せない。日記を読めば、割と思い出せるだろう。でも自分の文章を積極的に読み返したいかというと、何とも。時々読んでみたくなるんだけど、思い出す為に読むのは少し嫌だ。

 

色々失敗していて、まあ将来どうやっていこうかという気持ち。本当に失敗したかはあとになってからじゃないと、本当のとこ、分かんないよ、という思いもあるよ。変なところで前向きだね、というか、出来る限り肯定してあげたい現状、みたいなそんな感じ。落ち込むなんて、意識しなくても出来るから、意識的に前を向きましょう。

 

影響なのか、文章を少しだけ書いてみたが、筋力が落ちている感じが凄まじかった。というかあの頃は、文章を書きたくて筋を考えていたというよりも、書きたい筋が浮かんだので形にしようと頑張ってみた、みたいな方が大きくて、まあちょっと状況が違う感じ。いや、あの頃に書く筋力があったのか、と言われるとそれはまた違う気がする。まあ、それよりもひどい感じがする、ということ。

 

最近は積読を10冊読むまで買わない、という強い気持ちでいた。1冊だけ、落ち込んでいるのを理由に買ってしまったが、まあまあ買わずに居られていた。半月くらいは買わずに居られた。読まずにいた本をこういう時に読んでしまうのが良い。意外とすらすらと読めてしまって、やっぱり本には読む時期があるのだな、というように感じる。

結局11冊読んで、また買う、ということをした。読んだけれど、なんだかなあ、という感じがする。なので、今度は20冊、というように考えているのだけれど、どこまで読めるか分かりません。図書館でも色々借りて、ごまかしている、何をかは分からない。

多分手に入れる、という行為も好きなのだと思うので、疑似的なものでしかないけれど、本を借りると少しその部分が満たされるのではないだろうか、みたいな、そんな感じ。

本棚を新しく増やしたのだけど、積める面積が広がっただけのようなそんな感じもする。読んでない、と思うのは少しだけ、苦しいことだな。

 

文章を書くのは難しい、でも本当は嫌いじゃない。それが伝われば良いな、と思っている。

私のことなんて全然みてないでしょうと思うのに、意外とちゃんと見ていて、これまでの人々のことを思う。どれだけの人があなたの人生を通り過ぎていったんだろう、通り過ぎずに留まっている人はどれくらい居るんだろう。私の人生の中に留まっている人はどれくらい居るんだろう。誰からも忘れられたって良いけど、なんて本当には思えないんだよ。

 

この記事を書き上げるのにも結構な時間がかかっている。私はほんとうは、伝えたいことがいっぱいあるから、どうか受け取って。私の世界を、どうか。