静電気

また5月がきたよ

f

 

3ヶ月ほど何も書いていなくて、書こうと思った。他のもので日記を書いていると、書かなくなってしまいがちだということが分かった。がちというか、実際書かなくなっていた。2ヶ月続いただけ、続いた方だと思う。毎日書くものとしては、最長ではないだろうか。結局、日記は書かなくなってしまった。まあまあ楽しかった。再開したくなったら多分するんだと思う。

 

何にしていたのかあまり思い出せない。日記を読めば、割と思い出せるだろう。でも自分の文章を積極的に読み返したいかというと、何とも。時々読んでみたくなるんだけど、思い出す為に読むのは少し嫌だ。

 

色々失敗していて、まあ将来どうやっていこうかという気持ち。本当に失敗したかはあとになってからじゃないと、本当のとこ、分かんないよ、という思いもあるよ。変なところで前向きだね、というか、出来る限り肯定してあげたい現状、みたいなそんな感じ。落ち込むなんて、意識しなくても出来るから、意識的に前を向きましょう。

 

影響なのか、文章を少しだけ書いてみたが、筋力が落ちている感じが凄まじかった。というかあの頃は、文章を書きたくて筋を考えていたというよりも、書きたい筋が浮かんだので形にしようと頑張ってみた、みたいな方が大きくて、まあちょっと状況が違う感じ。いや、あの頃に書く筋力があったのか、と言われるとそれはまた違う気がする。まあ、それよりもひどい感じがする、ということ。

 

最近は積読を10冊読むまで買わない、という強い気持ちでいた。1冊だけ、落ち込んでいるのを理由に買ってしまったが、まあまあ買わずに居られていた。半月くらいは買わずに居られた。読まずにいた本をこういう時に読んでしまうのが良い。意外とすらすらと読めてしまって、やっぱり本には読む時期があるのだな、というように感じる。

結局11冊読んで、また買う、ということをした。読んだけれど、なんだかなあ、という感じがする。なので、今度は20冊、というように考えているのだけれど、どこまで読めるか分かりません。図書館でも色々借りて、ごまかしている、何をかは分からない。

多分手に入れる、という行為も好きなのだと思うので、疑似的なものでしかないけれど、本を借りると少しその部分が満たされるのではないだろうか、みたいな、そんな感じ。

本棚を新しく増やしたのだけど、積める面積が広がっただけのようなそんな感じもする。読んでない、と思うのは少しだけ、苦しいことだな。

 

文章を書くのは難しい、でも本当は嫌いじゃない。それが伝われば良いな、と思っている。

私のことなんて全然みてないでしょうと思うのに、意外とちゃんと見ていて、これまでの人々のことを思う。どれだけの人があなたの人生を通り過ぎていったんだろう、通り過ぎずに留まっている人はどれくらい居るんだろう。私の人生の中に留まっている人はどれくらい居るんだろう。誰からも忘れられたって良いけど、なんて本当には思えないんだよ。

 

この記事を書き上げるのにも結構な時間がかかっている。私はほんとうは、伝えたいことがいっぱいあるから、どうか受け取って。私の世界を、どうか。