殴
全部偽物だという気持ちでおはよう。
読んでる本が進まない。面白いのにね。どうしてだろう。
とりあえず何かは読んでいたいので乗り換えてしまったりするのだった。
それをまたやっている。
ちゃんとそれも読まないといけないしその内読むよ。面白いから。
勿論読んでる途中で乗り換えちゃって宙ぶらりんになっているそれらもある訳でそれはごめんね、という気持ち。その内読むね、きっと。
それで他の本を読んだら頭を殴られたような気持ちになってしまった。
いつだってこの人の書く文章は凄くて素敵で同じ言語を使っているのになあという気持ちにさせられるのであった。
きっとどうせ私は何物にもなれないと思っているのだけれども、自己嫌悪だけは立派であって、言葉で何かをするような職に憧れを抱くことも、そんなに、あまりなく成長したのだけれど、それでも劣等感がこちらを見つめていてどうしようもない。
別に何かになれなくとも言葉はいつだって側にあって私たちはいつだってそれを使っているのだし、どうしようもなく近いのに遠いのだねというような気分。
久し振りに付箋をつけながら本を読んでいる。言葉がきらきらしている。
殴られているから光っているのですか。どちらでも良いことであるね。
発光する小さい画面に並ぶ文字列も私の心を抉るために存在しているようであって。
こんなにも動かされてしまうのは本物なのかなと私は思うのだけれど、あなたはどうですか。でも私が決めることであるのだよという強気さもあって良く分からないね。
時々あまりにも感じることが多過ぎると観るのが読むのが聴くのが怖くなるのだった。
恐怖を感じてしまうのであってそれはそれだけ凄いということでもあるのだけれど。
防衛本能というか自衛精神というかなんなんでしょうねあれは。
それでも見てしまいたい、見てしまおうよ、そんな気持ちで読んで聴いて観て殴られてしまうのであって、仕方がないひとだねえと自分でなるのであるよな。
私の思考のラベルはタグはいつだってぐちゃぐちゃで駄目なのですね。
きっといつかこれが恥ずかしくなる。