ううむ
何を書こうとしていたのだったか忘れてしまった。
特に書くべきことなんて何もないのだけれど。
影響をびしびしと感じて恥ずかしい人間であるよね。別に書くことが嫌いな訳ではないのだけれどもね。こう駄目であるよねという気持ちがするのであった。
Twitterと違って消すという行為が気楽に行えないのであった。なんでだろう。同じ言葉の排出なのにね。量ですか。見られる人の差ですか。自意識かな。どうでしょうね。
付箋をつけながら本を読んだのは久し振りであって、ピンク色のを使い切ってしまった。表紙に入っているピンクと同じ色で何だかすてき。
とはいえ付箋を無駄にしているのだけれども。いつかまた読み直してほうとなれたら良いなと思っている。
再読だというのにどれもきらきら光っていてすてき。すてき。素晴らしき耐久性。
私には一生感じ得ないそれらと使い得ないそれらが組み合わさっていてなんというかすごい。まあだからこそ小説家なんていうものなのかもしれないのですけれど。
エッセイは感覚と言葉が刺さってくるので時々読みたくなるのだよね。小説よりもなんだか言葉を追いたくなるのであった。
昔本を読むことで自分の出来ない経験が出来るなんて言う奴はといった事を言われたのだけれどううむ。出来るまでいうのはあれであろうけれど疑似体験しているくらいの気持ちは許されたいよね。
とはいえ楽しみ方は人それぞれであろうと思うのだけれど。
私は理解できないものをほおんと読むのも結構好きであるよ。全て理解することが正しいなんてさみしい。本当は余すところなく理解したいけれど。
大きなことを決めなくてはいけなくて先延ばしにしたい心地でいっぱいなのだけれど後から降りかかってくるであろう厄介が日の目を見るより明らかであって。
生きているのだから厄介なことばかりであるよね。
うまく伝えられるかしら。大人になるのはやっぱり嫌であるね。
しかしながらですねきっとこんなこと死ぬまで続けるのだろうよ。生きているって選択することであって大人とか子供とか関係なかったのであったね。
今までだって選んで生きてきたのだから。自覚の有無には関わらず。
選ばれない人間であってそれでも良いと思って居られたら良かったのだけれど。