静電気

また5月がきたよ

 

欲しい本があるかどうしても確認したくて本屋さんに行く。

そしたらちゃんとありまして、どきどきしながら立ち読んで欲しいという気持ちになりながら本棚に戻す。積読本をもう少し読んだらきっと買う。

哲学書というやつらしくてその言い回しがそれという感じであった。

言ってることはなんだか何を言っているのだかって感じなのだけれど、ことばとことばが連なっているさまが妙に素敵に思われるのだった。

咀嚼は出来ないけれど舐めることを許されたい。

 

カフェインとケーキでも摂って帰ろうかねと思ったけれど、新刊を見てからと寄れば、文庫落ちが待ち遠しいあの本が売られていて手に取ってしまう。

新書サイズは二段組だと思っていたのであれと思いながら2ページだけ読む。鳥肌。早く読みたいなあという気持ち。

レビューとかちらりとだけ見て期待値がとてつもなく高い。待ち遠しい。

文庫など待たずに買ってしまえば良いのにとも思ってしまうのだけれど。

 

その横にそのうち買おうと思っているのが置いてあって、帯を見て少しばかり憂鬱な気持ちになるのであった。どうなるのかな。

それはその作者の本を読むきっかけになったシリーズであって、中学生の私には衝撃的なものであった。

ここまで読めない本があるのかという経験をしたがそのシリーズの4巻目であり、日本語なのに何だか全然噛み砕けないというか、なんというか目が滑るというか、ああいう経験をしたのはそれが初めてであったように思われる。

何故4巻かというと図書室に置いてあったのがそれと最後の3冊であった。

良く分からない。あと読めなさ過ぎて1巻からちゃんと買って読んだ。

とにかく図書館になければ私はもっと遅くこの作者に出遭っていた、もしかすると読むこともなかったかもしれない。読むことがなかったかは分からないけれど。

 

振りむけばあの本がたくさん並んでいて立ち止まってしまった。

いつ知ったのか思い出せない。きっと高校生の頃であった。きっと雑誌で誰かがお薦めしていたのだ。

ブログがまだ残っていたから読んだ。つらくしんどい、ずしんと重い気持ちになったのをぼんやりと覚えている。

最初の頃まで遡る気力がなかったような気がするので紙媒体で読みたいと思い調べても買えなさそうであって諦めた。あと高価であったので。

去年はじめて書店でそれを手に取ったのだと思う。

おやと思って手にとればその本であって、しんどいのも忘れてあら今度いつか買おうと思ったのだった。しかしながら最近その棚を見てみればなくなっていて、売れてしまったのだねえと少し残念な気持ちになった。

それがたくさん展開されていていて何だか混乱してしまった。

いっぱいの目がこちらを見つめていて何だか目出度げな帯で彩られていて。

手に取って読んでみればああすごいねことばってという感じであって、変な汗が出てきてしまうのであった。

 

怖いけれどつい見てしまう文章というのがやはりあるのだな。

影響を受けやすくひとつのことに頭を支配されがちな私にはまだ逃れられそうにない。

蝶というより蜘蛛であるよなというような心地。