犁
梨みたいだなって思いませんか、わたしだけですか。そうですか。
アクティビティという機能が今でもだいすきなのであるよね。
あれって他人の興味というか、アンテナの方向性みたいなこう大事な部分を覗き見する感があるので、でこう悪趣味!と言われたらそれまでなんですけど。
わたしは見られるの恥ずかしいです。見るものは見られる覚悟、しなきゃだよね。
したらばちょっと興味あるツイートが出てきて、ちょっと見てみれば音楽を辞めるってツイートが出てきたので、つらい気持ちになるのであった。
正直ちゃんと聞いたことないのに。それに聴くのがちょっと怖くもあったりするので。でもいつか聴いてみたいと思っていたりして、色々不安定な人だなあと思っていたのだけれど、何だかとっても苦しい。
なので作詞作曲した曲を聴くなどした。久し振りにバンドの曲も聴いてみようと思ったりなんかして、聴いたら何となく泣きたくなってしまったね。
好きでもない人間が思うのはなんだか間違っているのだろうけれども、押し付けられるのがご本人もいちばん嫌いなのだろうけれど、それでもやっぱり、しあわせになれますようにって思うのであった。
あと、お顔の感じ、雰囲気がとってもすきでした。
私は表現活動というか創作活動というものをしたことがないので、そういうことをやっている人の苦しみというかそういうものにとっても弱い。滅法弱い。
分かりもしない苦しみというかそういうものを、苦しいねえというように感じてしまうのであって、気分が滅入ってくるのである。であるならば、もっと周りに居る皆々の心の機微というか、そういうのを慮れるようになりたまえよな、と思わなくもないのだけれど。
とはいえ可視化された苦しみであるから、一緒になって苦しいねと思えるのであろうな、とも思ったりして。
最近はずっとエッセイを読んでいました。
三部作だったのですけど、ついに読み終わってしまった。
衝動的に文庫版を買いそろえてしまったのですけれども、実は再読。本当は単行本で揃えるつもりだったのにね。
それにわざわざ付箋を貼って読んだのだけれど、ことばの連なりがやっぱりとってもすきで、いちばん憧れの文章かもしれないねって思ったりして。
正直自分の文は影響を結構受けているような、そんな気持ちがあるのですけれど、どうですか。思い上がりも甚だしいようなそんな気もするのであって、ぐるぐるするよね。
最初に読んだエッセイの衝撃は消えてなくて、当時のわたしは中学生であった。
それからずっとすきなのであって、好きなものの持続性ってすごいね。