静電気

また5月がきたよ

 

めちゃくちゃにしんどいのだが、どうしてだか良く分からない。

図星というか、真っ当過ぎてしんどいのかもしれない。優しい振りだと感じているからしんどいのかもしれない。というか、全部なのかもしれない。優しい人は嫌いだ。優しさは嫌い。厳しい方がずっと優しい。優しくされるとつけ上がるのだ、人だから。

何を書いているのか分からなくなるかもしれないけど、結局、書くのって良いのだ。良いんだよ、開かれていて閉じている。

 

あなただから大丈夫、なんて嘘だ。一次的な保留で、気の迷いでしかない。自分だってやるだろうけど、嘘だ。私はきっとあなただからは、いつか大丈夫じゃなくなるんだと、どこかで知っている。

受け皿はいつかいっぱいになってしまって、そんなのなら最初から受け止めてくれない方がずっと良い。中途半端に優しいなら、中途半端に厳しい方が良い。尊重なんてことば、大嫌いだ。とはいえ本当は、受け止めて!もう全部!てな時もあるわけで、自分勝手な気持ちでしかないこと、分かっているのだけど。

 

久し振りに死ぬ、ということについて、昼間に考えていて、まだそういう考えは少しだけ残っていて、本当に消えることはあるのだろうか、などと思ったりする。急に、死ねば全部なくなるんだな、とふっと、浮かんで、溶けていった。本当に久し振りだったから、少しだけ、驚いてしまったよ。

他人のことを考えている間は、自分のことを考えなくても済む。自分のことを考えると、最終的に死にたくなる。だから、自分のことなんて考えない方が、私は幸せだ。

思考は自分を幸せにしてくれない。頭の良い人はみな、病んでいる。病んだ天才より幸せな阿呆の方が、きっと、ずっと生きやすい。私は頭が良くもなければ、天才でもないが。

 

自分が何をそんなに気に病んでいるのか、分からない。分からない、自分のことなんて、分からない。じゃあ誰のことなら、分かるんだろう。人のことも分からない。

嫌いなところを見つけるのは容易で、好きになることは簡単で、でも嫌いになるのは難しい。みんな、嫌いになってしまいたいのに、どうしたって出来そうになくて、私はどうしたら良いのか分からない。好きなままでいるしかない。

結局、私だって自己否定を繰り返しながらも、肯定されたいだけの自己愛者でしかない、気持ちが悪い。人を否定したら、自分は守られる。みんな嫌いな気持ちになれば、私は自分を嫌いにならないで済む。だから、こういう時は本当にもう、みんな嫌いだという気持ちになる。本当は自分が嫌いになれば済むんだけど、そういう話なんだけれど、でもだって、自分のこと、嫌いだけど好きで、本当に嫌いになりたいんだけど、そういう訳にもいかない訳で、誰かのせいにしたいんだよね。

自分は恥ずかしいのだと、思わずに済むのに、でも本当は恥ずかしいんだって、分かっていて、どうしようもない。変わらなくてはいけなくて、変わりたくなくて、だからひとりで居たいのに、そんなことは出来はしない。ひとりで居たら、変わらずにいれるのだろうか、それだって、間違っている。

 

女であることとかについて考えるよりも、女であることがきちんとできていなくて、げんなりする。どうして、そんな簡単なことさえ出来ないんだろう。醜いって、恥ずかしいって思われている。思われているんじゃないかと、思っているだけだけど。

私は変われるんだろうか、変わりたいんだろうか、分からない。自分のこと、駄目だって、本当に思っているんだろうか。分からない、全部分からない。本当は、分からないって言ってれば、良いと思っているんだろうか。

引け目はずっと感じているのに、どうしたってどうも出来なくて、本当のことが分からなくなっていく。私は私のままで、駄目なままで良いんだろうか。そんなことで、良いんだろうか。変わらないことの方が、ずっと、辛いんじゃないだろうか。

 

私は間違っているんだろうか、自分のために、って一体何なのだろう。そういう気持ちでいれること、大事なんだろうけど、そんな大事よりももっと大事なこと、あるんじゃないだろうか。だって、私は少数な方だと思われるし、マイノリティは拾われるべきなのだけど、でもだって、常識的なものの中で、マイノリティどうこうってやっぱりなんだか、間違っているんだよ。ここでいう常識は、もう、疑いようのない、ぴしっとしたものについてであるから、マジョリティ優先であって、良いのだ。常識を疑えというものでない、ということは、やっぱり駄目なのではないの、というか、駄目って一体何、間違っているとかそういう話なんだろうか。なんかそういうの、被害者意識的なものが強くて嫌だ。

私のなかの大事、の比率がいちばん大きいものについて考えていて、今は分かるけど、以前は分からなくて、じゃあどうして、蔑ろにしてきたんだろう。私はどうして、女であることを大事にしてこなかったんだろう。過去のこと、どうこういったって仕方ないのに、もっとどうかできなかったんだろうか、そういう思い。

誰も私のこと、駄目って言ってくれない。これで良いんだと勘違いしていた。駄目って言われたくない、肯定されたい。でも、嘘ついてまで、肯定されたいかな。いやでも、嘘でも肯定してほしい時ってあるわけで、いまがその時じゃないってだけで、それってとても我儘じゃないのか。でも、駄目って言われることって大事で、だって私の世界は私だけのものだけれど、私だけの世界で生きてはいけない。勘違いがいちばん恥ずかしい、いまなら死ねる。絶対死なないけど。