静電気

また5月がきたよ

 

私はやっぱり書かなくても大丈夫なんだと分かってしまって、それは悲しい事だなと思っていた。書く必要の無い事でも、書く事で実は少し救われていたのだと思っていた。誰が読む訳でもない、自分の指が動くから適当に吐き出した文字たち。でもこうやってまた書けるような状態になると何となく指を動かしていて、何だかんだ嫌いではないんだろう、救われていたのは全部が勘違いではないのだろうなと思わなくもない。

これは最早誰が読むんだろう。ここは交換ノートみたいな、そんなものだった。そういうのが私はそれなりに気に入っていたのだと思う。これからは私だけが読めば良いんだけど。いつか全部消してしまいたいと思うんだろう。全部消してしまいたいと思うけれど、今だって消さずに残している。もういっそ消したら良い事も怖くて読めないものもいっぱいあるのに多分消せないと思う。消さないと思う、よっぽどのことがない限り。

 

悪い意味で変わってないことと変わらないで欲しかったことが入り混じっている。最近は本当に具合が悪くてしょうがない。自分を嫌いになる理由だけが増えていく。醜いままだ。生きているのが恥ずかしい。こんな事ばかりで、それが疎ましい。そんな大人にはなりたくなかったのにと思う。

 

なりたいものになりたい、というと笑われるのだろう。多分とっても子どもみたいだから。それでもやっぱりなりたいものになりたいと思うだろう、少なくともなりたいものがあるのだとしたら。とはいえなりたいものって何だろうな、それはいつもぐらぐら揺れ動いて良く分からない。不定形で曖昧だ。とはいえ、低い温度の曖昧な存在になれるならなりたいとも思っている。それは遠からずのものであるのかもしれない。それって人なんだろうか、人を辞めたいのかもしれない。

 

誰かにこんなにどうでも良い事をつらつらと話したい。私は一体今何の話を、どうしてしているんだろうかと頭の片隅でぼんやりと考えてしまうような。そんなどうでも良い話をずうっとしていたい。対人関係で発生する調整。こんな話し方は有用ではない、でも私の基本仕様はそれであって、本当の話し方をしたら駄目なんだろうなと思う。それ位の調整はいくらでもしよう。だから誰も聞いてくれない言葉が思ったよりも降り積もっているのかもしれない。それは静かな重たい雪みたいに、ずうっと降り続けて、溶けずに残っているのかもしれない。今年の雪みたいだ。あの雪にずっと埋もれてしまっているのかもしれない。

 

こんなつまらない女になりたくなかったと思う。別に面白い女であったことなどないし、これから先もそんな女になれることは絶対にないのだけど。面白い女になる方向の戦略しか取れないタイプである事は自覚しているのだけど。だって可愛げとかない。多分母体に忘れてきたんだろう、それは欠陥だと思う。誰からも好かれるタイプだからって言われてみたかった、一度だけで良いから。私だって誰からも愛されてみたかった。

 

こんなにも私は簡単にぐちゃぐちゃになれるのだといつも思う。たった一言で、たった一つの仕草で。それだけでこんなに滅茶苦茶になれる。こんな風になれるのだなんて知りたくなかった。それは酷くつまらないことだ。つまらない、と思うのにぐちゃぐちゃになるのが止められない。馬鹿馬鹿しいと思いながらも血が流れていると思う。目が見えてないのだと思う。分かっている。こんな風になる前に戻りたい、何も知りたくなかった。知らないままで居たかった。でも知ってしまったから、私は全部燃やし尽くしてしまわないと終われないんだろうと思う。でもこのまま全部燃えて灰になったら、崩れた心はどうするんだろう。そしたら私はどうなるんだろう。全部失って、燃え尽きて、また空っぽになって、そんな私を誰か全部貰ってくれるだろうか。

 

私の意志、と思う。私の意志なんて本当には必要ないのではないかと思う。笑って、怒らないで、耳障りの良いことばを極力並べて。都合よくあることがいちばんの戦略。私がどう思ったかなんて関係がないだろう。私が悲しいかどうか、私が怒ったかどうか、そんな事を一度でも考えた事があるんだろうか。考えた事があるのかと思っているだけで、考えた事が無くても私は気にしない。だって考えてないだろうと思っているから。私の感情なんてきっと興味がないだろう。私に興味がないだろうから。

 

早く全部が終わってほしい。こんな事を考えているのが苦痛で仕方がない。人間の事なんて好きになるだけ無駄だ。