静電気

また5月がきたよ

 

毎度こうだ。何度繰り返したら気が済むんだ。何度頭の中で叫んでいるか分からない。これからも私は叫び続ける羽目になるんだろうな、馬鹿馬鹿しい。本当にお前は正真正銘真性の大馬鹿者だよ。

 

頭の奥がしんとする、頭が急に冷える。今きっと怒っているのだなと思う、的外れな怒りである事は分かっている。だって怒っても仕方がない、馬鹿にされたって仕方ないと思うのに、頭が冷えていく。ああ、惨めだと思う。あんまり情けなくて、涙が出る。声を出して、泣いてしまう。渦中のことはネタにしてはいけない、人間関係は他人にしたらエンターテインメントだ、分かっている、私だってそうやって消費しているだろう、他人のことなんて怒れる筋合いはない。それでも怒っているという事が、持て余している欲求があまりに情けなくて、涙が出てくる。愚かしい、馬鹿馬鹿しい、馬鹿にされたって何も言えない。分かっている。自分を呪うのに、何度だって呪っているのに、消えてくれそうにないのだ。だからまあ、馬鹿にされてしまうんだろうけれど。

 

消そうと躍起になるほどに消えてくれないんだと思う。でも消そうとしなくては、消えてくれそうにない。欲求を自由にしてはいけない、欲望を留めておかなくてはいけない。自制しなくては、枷を嵌めなければ。とはいえ自制は無ではない、意識下の行為だ。どこまでも意識的な抑制でしかない。意識なしにはやめられないだなんて、無からは程遠い。考えれば考える程、深みに嵌ってしまう事は分かっているのに、考えないと自制出来ないのだ。馬鹿みたい。

 

私は私の為に証明しなくてはいけなかった。必要がないことを、意味がないことを。何もないのだということを、証明しなくてはいけなかった。毎度思っているのだ、そうしたらわたしだって分かってくれるんじゃないかと、本当には大して必要の無いことなのだと。いつになったら分かってくれるんだろう、そんなもの大して私の人生に必要がないんだってこと。どうしてそんなに欲しがるの、必要とするの。うまくいくと思っていた、今回はうまくいくんじゃないかって。私の感覚が人と著しくずれているのかもしれないけれど、私のなかではそれなりにうまくいっていたのだ。いつもそうだ、あと少しで手が届くと思ってしまう、掴めると思ってしまう。全部が良くなるという錯覚に溺れる。

 

対面でのコミュニケーションが非対面のコミュニケーションの呼び水になる。恐ろしい。許されている感覚に緩んでしまう。そんなものは錯覚で、幻想だというのに。そこから転げ落ちる、落ちていく、気が付くとまた最低な気分になっている。私の人間との距離がおかしいんだろうか、それは常であるから、良く分からない、誰か正しい距離を教えてくれよ。どうしたら良いんだよ。そしてまた私はわたしに触れるものを遠ざけたくなるのだ。また証明しなくてはいけないと思うようになる。でも長くは続かない、分かっている、対面でのコミュニケーションをあっち主導で取られているうちは。それすらなくなってしまえば、私は本当に恐れることが出来るんじゃないだろうか。そうしたら、嫌でも離れられるんじゃないだろうか。そう思っている。でもそれすら拒絶されたらどうなるんだろう、耐えられるのかとも思っている、本当は拒絶されるのが怖い。分かっている、本当は欲しているんだろう、そうやって遠ざけられるのは怖いのだ。浅ましい、汚いな。

 

主語はあえて大きくしている。分かっている、対象を自覚している。全員に興味なんてないのだ、誰でも良いだなんてほんとは嘘なんでしょう。そうやって誤魔化しているつもりなんでしょう、誤魔化したいんでしょう。愚かしいね。

 

何度も傷付いて、血を流して、恐れて、何度繰り返すんだろう。もう駄目だ、遠ざかろう、離れよう、これが最後だと思う。癒さなければと思う、この血を止めなければと思う。そして瘡蓋になる。そして、どうするのか、私は、愚かしい私はそれを剥がす。もしくは新しい傷を作る。また血が流れる、そんなことは分かっているのに。何度血を流しても、何度恐れても、また傷を付けてしまう。傷付く事はどうしたって明白なのに、尚触れようとするのはどうしてなんだろう。自分勝手に近寄って、自分勝手に傷付いている事は分かっている。誰も悪くない、いや私が悪いのだ。学ばない私が、自分勝手に傷付いているような気分に陥ってしまう私が、悪いのだ。

 

サインを読み取れ、近寄るなという警告が出ているだろう。分かっている、拒絶されていることくらい。いやどうなんだろう、中途半端な方法では分からない。拒絶するならば、全力でやってくれ、息の根を止めてくれよ。それは優しさではない、いや元々優しさを期待する方が馬鹿なんだとも思う。そして、馬鹿な私はそのサインを、警告を見ない振りする。見ない振りではない、本当には見ている、見ているから恐れている、無視をする。どうしてそんな真似をするんだろう、それでまた傷付くんだろう?馬鹿馬鹿しいだろ。でも仕方ないのだ、消えない気持ちを消すにはこれしかない。無になるたったひとつの方法、終わりになるまで、やる。取り返しのつかないところまでいくか、私が立ち上がれなくなるかのチキンレースだ。いつだって捨て身で、身勝手だ。私に何のメリットがあるのかは分からない、何もない、上手くいけば無関心になれる、心を殺せる。生憎だが、自損するような解決策しか持ち合わせていない。

 

早くこんな馬鹿げた事から抜け出したい。自尊心を砕いて、精神をすり減らして、一体何になるんだ。何が得られるというんだ、一体何が欲しいんだろう。話したい事なんてあるんだろうか、ないだろう。ないだろうと思うのに、あるんだろう。あると思ってしまうから、私はまた傷付きにいくのだ。でも本当にそれって話さなければいけないことなんだろうか、分からない、話さなきゃいけない事なんて、大抵はないのだ。一時的な快楽の為に支払うものが多過ぎると思わないか。勿論思っている、私は見合わないと思っている。本当にコストパフォーマンスが悪い、最低だ、馬鹿げている、回収率が極めて悪い。その上、言葉が通じているとも思わない。国語の成績が悪かっただろうとか、お前のそのふざけた態度が気に食わないだとか、良い歳してそれで面白いと思ってんのかとか、思わないといえば嘘になる。でも、そんなクソみたいなところを多分私は面白がっているのだろう、ふざけんなよ、馬鹿にしてんじゃねえと思いながら、どこかで好ましく思ってしまっているのだろう。本当に救いようがない。

 

恋なんてバグだ、少なくともこれはバグだ。絶対に幸せになんてなれない、片想いが幸せになれないとは思わないが、少なくともこの場合は無理だ。絶望的だと思う。最早恋かもわからない、いや恋だと思うけれど。どこが好きなのか、どこが良いのか。正直もっときちんと構ってくれる人間が居て、面白いと思えば、そちらを好きになるのではないかと思わなくもない、分からないけれど。私は分からなくなっている、話していて面白いというだけ、だけなのに言葉が通じないと思っている。これまでの人生のなかで最も言葉が通じていないと思う気がする。高校の頃の交際相手に対しても日本語が下手だなと思っていたけれど、それとは違う通じなさを感じている。どちらがマシかといわれると高校の頃の人間の方がマシである、彼はふざけてはいなかった、いやふざけていないのに日本語が下手だなと思われるのはそれなりに可哀想な気がする、話が反れてしまった。どうしてこんなに執着しているのか、自分でも良く分からない。頭がおかしくなってしまう、頭のなかはどうしてこんなに騒がしいんだろう、どうやったら黙らせることが出来るんだろう、助けてほしい。