生
この世は楽園ではなく地獄で、そこで歯を食いしばって、時々笑って生きていこうと思う。そう思える時と地獄なんてごめんだと、逃げ出したいと思う時があって。何もかも諦めて、適当にして、何となく生き延びれたらそれで良いじゃないのと思う時もある。
死にたいと初めて思った時のことはよく覚えていない。小学3年生の頃、窓の側に立って、死ねたら良いと思っていたことだけは覚えていて、だから最低でもその頃にはすでにそういう願望がちらついていたのだろうとは思う。
今まで死なないでいて、生きてきて良かったねと思う気持ちがないといえば嘘になる。そのまま明日も生きていたら良い。別に生きていて良いことなんて何もないんだけど。それでもそう思う。
でも全部砕いて、めちゃくちゃにして、何もなかったことにしたくなる夜が、昼が、朝がある。こんなにも死にたいと思うのだ。黙らせ方や目を瞑る方法がわからなくて、だから思う死にたさは短絡的だって、愚かだって笑うかもしれないけれど。私も笑ってしまうし。でもやっぱり死ねたら良いのにと思うことをやめられない。
それでもやっぱり死ねなくて、だから明日も明後日も来年も10年後もきっと、多分、自分で終わらせることのない人生を過ごしているんだと思う。それで良いんだよって笑ってくれるひとだってきっといる、いるんだろうと思う。信じがたいことだけど。それでもこんなに死にたいと思うのに生き延びていることを恥じている。自分に対して生きていてごめん、死んであげられなくてごめんと思う。だからもう死にたいなんて思いたくないのに。
それでも今日もうっすら死にたいと思っていて、何だかもう駄目で笑ってしまう。
何無
吃驚する位に成長がなく、多分このまま何もなく死んでいくんだろうなという嫌な予感だけがある。だって、2年前の記事に書いてあること、今だって思っている。そんなことあるんだ、無益な人生だね。でもこんなことをずっと言い続けている気がする。本当に愚かな人間だね。
書き溜めていた言葉たちを今更読み返してみるのも良いのかもしれなかった。何になるのか全く分からないけれど。多分良くも悪くもあんまり考え方は変わっていないのだろうなと思う。成長がなく、ブレもない。いや、多分悪い、多分ではなく、かなり悪い。諦めて欲しいことはきちんと諦めて欲しかったのだけれど上手くいってない。こんなにうまくいかない事ってあるんだね。変わりようのなさに数年前の私が今の私を見たら泣くだろうし、数年前の私の言葉をみて今の私は泣きたくなっている。
偏
私はやっぱり書かなくても大丈夫なんだと分かってしまって、それは悲しい事だなと思っていた。書く必要の無い事でも、書く事で実は少し救われていたのだと思っていた。誰が読む訳でもない、自分の指が動くから適当に吐き出した文字たち。でもこうやってまた書けるような状態になると何となく指を動かしていて、何だかんだ嫌いではないんだろう、救われていたのは全部が勘違いではないのだろうなと思わなくもない。
これは最早誰が読むんだろう。ここは交換ノートみたいな、そんなものだった。そういうのが私はそれなりに気に入っていたのだと思う。これからは私だけが読めば良いんだけど。いつか全部消してしまいたいと思うんだろう。全部消してしまいたいと思うけれど、今だって消さずに残している。もういっそ消したら良い事も怖くて読めないものもいっぱいあるのに多分消せないと思う。消さないと思う、よっぽどのことがない限り。
悪い意味で変わってないことと変わらないで欲しかったことが入り混じっている。最近は本当に具合が悪くてしょうがない。自分を嫌いになる理由だけが増えていく。醜いままだ。生きているのが恥ずかしい。こんな事ばかりで、それが疎ましい。そんな大人にはなりたくなかったのにと思う。
なりたいものになりたい、というと笑われるのだろう。多分とっても子どもみたいだから。それでもやっぱりなりたいものになりたいと思うだろう、少なくともなりたいものがあるのだとしたら。とはいえなりたいものって何だろうな、それはいつもぐらぐら揺れ動いて良く分からない。不定形で曖昧だ。とはいえ、低い温度の曖昧な存在になれるならなりたいとも思っている。それは遠からずのものであるのかもしれない。それって人なんだろうか、人を辞めたいのかもしれない。
誰かにこんなにどうでも良い事をつらつらと話したい。私は一体今何の話を、どうしてしているんだろうかと頭の片隅でぼんやりと考えてしまうような。そんなどうでも良い話をずうっとしていたい。対人関係で発生する調整。こんな話し方は有用ではない、でも私の基本仕様はそれであって、本当の話し方をしたら駄目なんだろうなと思う。それ位の調整はいくらでもしよう。だから誰も聞いてくれない言葉が思ったよりも降り積もっているのかもしれない。それは静かな重たい雪みたいに、ずうっと降り続けて、溶けずに残っているのかもしれない。今年の雪みたいだ。あの雪にずっと埋もれてしまっているのかもしれない。
こんなつまらない女になりたくなかったと思う。別に面白い女であったことなどないし、これから先もそんな女になれることは絶対にないのだけど。面白い女になる方向の戦略しか取れないタイプである事は自覚しているのだけど。だって可愛げとかない。多分母体に忘れてきたんだろう、それは欠陥だと思う。誰からも好かれるタイプだからって言われてみたかった、一度だけで良いから。私だって誰からも愛されてみたかった。
こんなにも私は簡単にぐちゃぐちゃになれるのだといつも思う。たった一言で、たった一つの仕草で。それだけでこんなに滅茶苦茶になれる。こんな風になれるのだなんて知りたくなかった。それは酷くつまらないことだ。つまらない、と思うのにぐちゃぐちゃになるのが止められない。馬鹿馬鹿しいと思いながらも血が流れていると思う。目が見えてないのだと思う。分かっている。こんな風になる前に戻りたい、何も知りたくなかった。知らないままで居たかった。でも知ってしまったから、私は全部燃やし尽くしてしまわないと終われないんだろうと思う。でもこのまま全部燃えて灰になったら、崩れた心はどうするんだろう。そしたら私はどうなるんだろう。全部失って、燃え尽きて、また空っぽになって、そんな私を誰か全部貰ってくれるだろうか。
私の意志、と思う。私の意志なんて本当には必要ないのではないかと思う。笑って、怒らないで、耳障りの良いことばを極力並べて。都合よくあることがいちばんの戦略。私がどう思ったかなんて関係がないだろう。私が悲しいかどうか、私が怒ったかどうか、そんな事を一度でも考えた事があるんだろうか。考えた事があるのかと思っているだけで、考えた事が無くても私は気にしない。だって考えてないだろうと思っているから。私の感情なんてきっと興味がないだろう。私に興味がないだろうから。
早く全部が終わってほしい。こんな事を考えているのが苦痛で仕方がない。人間の事なんて好きになるだけ無駄だ。
ムイ~
あっという間に降って湧いた大型連休は終わりを迎えようとしている。これを公開する頃には、連休は終わっている。この業種に就いている限り、有り得ない筈の日数の休日。長年勤めている先輩はもっと戸惑っているだろう。何しますか?と聞かれた時には少し笑ってしまった、一体何が出来ると言うんだろう、ぼんやりしてたら終わってしまいますよと答えた気がする。
学生時代は完全週休二日制以外は断固拒否だと思っていたが、週に二日、きちんと休ませて貰えるならば意外とやっていける。フットワークの軽い友人ならば平日の夜に食事に行けば良い、買い物だって一人は気楽だしショッピングセンターは空いていて快適だ。休日の希望は大抵通るから、友人と会いたければ希望を出せば良い。
とはいえ、この大型連休は望んだものではなく、このご時世だから発生したものであるし、今では週に二日の休日ではなく出勤であり、友人とは当分会えそうにない。
今もそれなりに恐れているが、心理的ストレスの峠は越えてしまった気がする。一ヶ月ほど前はそれに関する情報の全てが恐ろしくて、堪らなかった。SNSでそればかりを調べては、気を滅入らせていた。ただ段々、朝夕爆発的に増えていく人々を見ていたら、少し落ち着いてきた。何も良いことはないのだけれど、それが当たり前になってしまったのかもしれない。どこかを麻痺させているんだろうか、恐れない事は必ずしも良いこととは限らない、恐れすぎるのも勿論良くはないのだけれど。結局何事もバランスの問題と言ってしまえる。とはいえ罹患はしたくない、少なくとも今は。私は、いや我々人類は時間稼ぎをしている。友人に最終的に罹患すると思っているんだねと言われた。最後まで罹患せずに居られるならそれに越したことは勿論ないのだけれど、それは多分きっと難しいだろう。
峠は越えてしまったかもしれないが、SNSはどこもかしこもこればかりだ。政治と疫病。沢山の人が、本当にたくさんの人たちが、声を上げているのを私はぼんやりと眺めている。目を逸らしたい、見ていたくない、考えたくない、そんな自分を恥ずかしく思う。でも私は何もしようとしていない、苦しいなと思うばかりだ。情報は取捨選択すべきだという事を思う。ミュート機能を有効活用している人間が散見される。ぼんやりしていても流れてくる情報、何となく知った気になれる事々、積極的な検索による憂鬱。未来は暗いと嘯いていたが、どうも現実になってしまった。どこまでも身勝手な私は自分の事だけを憂いていたかったと思ってしまう。
この大型連休はとにかく内部を覗き込んでいた。たったひとりの人間への妄執に震えていた、ずっと。我ながら、イカれているとしか言えない。恋と呼ぶにはあまりにもおぞましい、もっとキラキラと甘い、柔らかなものだけを恋と呼びたい。私のこれは執着、妄執である。とはいえ、柔らかな感情だけを恋と呼ばれても、もっと醜い感情だってそれをすれば湧くだろう!嘘吐きも大概にしろ!と怒る自分も見える、難儀だな。それは置いておくにしても、あまりにもねじくれて、歪んで、ドロドロに煮詰まってしまったこの感情を恋と呼ぶのはあまりにも苦しい。結局、私は恋に恋をしたままなのだろう、だからこんな醜さは、醜悪さは認められない。これを恋と呼ばないでほしい。
この妄執から早く脱却したい。ゆっくりと時間をかけて諦めていけば良い、人間の好意の賞味期限は意外と長いものだ、嫌いになろうと思って容易に嫌いになれる好意は本当に好意だろうか。でもそろそろ私は限界なのだ。もう既に気持ちの上では長期戦、最近では動作異常が目に余る。細かいことを言えば、何か月か前に吹っ切れたという話ではなかったかと思うだろうが、私の精神、情緒は恐るべき非連続性を具えているのでそこら辺りは大目に見て欲しい。私の言うことが30秒後に変わっていても私は驚かない、勿論疎ましくは思うが。
私は私のなりたいわたしになりたい。こうやってどんどんかけ離れていく。こんなに他者でべとべとになって、気持ちが悪くて堪らない。他者を信仰すべきではない、そこら辺にいる他者を。私が信仰すべきはフィクションだけだ。たった一人の他人への欲求が私のなりたいわたしを阻害する。私の人生に最後まで一緒にいるのはわたしで、お前ではない、お前ではないのだから、私はわたしを優先すべきなのだ。私が邪魔なのではない、お前が邪魔なのだ。どいつもこいつも私の人生には不要なのである。全員を蹴散らさなくてはいけない。死にたいのではない、お前が死ねば良いのだ。分かっている、私が死んだ方が話は早い、そんなことは中学生の時分から知っている。阿呆な物言いだが、他者は思い通りにはならない、自分でさえ思い通りにならないのに、違う頭を持った個体を思い通りに動かすことなんて、私には出来っこない。それに、他者を排除する方法でやるならば、私はどれだけの他人を殺めれば気が済むんだろう。笑ってしまいそうだ、そう考えてしまう自分に。そう思うと私が、私ひとりで済むのだから、安いものだよな。まあだから、私が死んだ方が楽だというのは重々承知な上で、お前が死ねば良いのだという強い気持ちでいたいんだよ。
私は自由で、幸せになる権利も不幸せになる権利もある。自分を縛らないでいることも、雁字搦めにすることも。型にはまらない事に苦しむのに疲れて、型にはまらないでいるようにしようとした。でも、それもどうやら失敗してしまったらしい。やはり習慣と継続だけが祈りなのかもしれない、規律は私を助けてくれるのかもしれない。だったら、私はまたわたしの為の鋳型を用意しよう、前よりもうまくやれるように、同じ轍をまたきっと踏むことになるのだろうけれど、前よりも少しでも善く在れるように。私は私の為のわたしを愛そう、誰よりも一緒に居てくれるわたしを愛するしかない。自分だけに興味を持てば良い、都合の良い他人を頭のなかに作り上げるな、それは紛い物だ。同じ紛い物なら、都合の良いわたしを作り上げよう、私にとって都合の良いわたしを、それに成り代われば良い。
頭の中の轟音が鳴り止まない、うるさい、煩わしい。早く静かなところへ行きたいのに。私のなかに何人かのわたしがいて、各々が主張をしていて、それを全部口から出していると矛盾だらけになっていく。私はどれも正しいとも間違っているとも言えない、言ってあげられない。強硬派のわたしは嫌われましょう、怖がられましょう、中指を立てて生きていきましょう、彼らは邪魔なのですからと言うし、穏健派のわたしはゆるゆると諦めていきましょう、いきなり冷たくなるのは差し障りがありますよ、穏やかに生きていきましょう、人はひとりでは生きられませんからと言う。そうだねえと私は言う。他のわたしがどちらも出来ないから、苦しんでいるんでしょう、馬鹿なのですかと言う。それもそうだと私は言う。
低体温そうな女に、不機嫌な低体温の生き物になりたい。私が諦めきれないのは他者ではなく、私だけ、自己だけにしたいのだ。
犀
毎度こうだ。何度繰り返したら気が済むんだ。何度頭の中で叫んでいるか分からない。これからも私は叫び続ける羽目になるんだろうな、馬鹿馬鹿しい。本当にお前は正真正銘真性の大馬鹿者だよ。
頭の奥がしんとする、頭が急に冷える。今きっと怒っているのだなと思う、的外れな怒りである事は分かっている。だって怒っても仕方がない、馬鹿にされたって仕方ないと思うのに、頭が冷えていく。ああ、惨めだと思う。あんまり情けなくて、涙が出る。声を出して、泣いてしまう。渦中のことはネタにしてはいけない、人間関係は他人にしたらエンターテインメントだ、分かっている、私だってそうやって消費しているだろう、他人のことなんて怒れる筋合いはない。それでも怒っているという事が、持て余している欲求があまりに情けなくて、涙が出てくる。愚かしい、馬鹿馬鹿しい、馬鹿にされたって何も言えない。分かっている。自分を呪うのに、何度だって呪っているのに、消えてくれそうにないのだ。だからまあ、馬鹿にされてしまうんだろうけれど。
消そうと躍起になるほどに消えてくれないんだと思う。でも消そうとしなくては、消えてくれそうにない。欲求を自由にしてはいけない、欲望を留めておかなくてはいけない。自制しなくては、枷を嵌めなければ。とはいえ自制は無ではない、意識下の行為だ。どこまでも意識的な抑制でしかない。意識なしにはやめられないだなんて、無からは程遠い。考えれば考える程、深みに嵌ってしまう事は分かっているのに、考えないと自制出来ないのだ。馬鹿みたい。
私は私の為に証明しなくてはいけなかった。必要がないことを、意味がないことを。何もないのだということを、証明しなくてはいけなかった。毎度思っているのだ、そうしたらわたしだって分かってくれるんじゃないかと、本当には大して必要の無いことなのだと。いつになったら分かってくれるんだろう、そんなもの大して私の人生に必要がないんだってこと。どうしてそんなに欲しがるの、必要とするの。うまくいくと思っていた、今回はうまくいくんじゃないかって。私の感覚が人と著しくずれているのかもしれないけれど、私のなかではそれなりにうまくいっていたのだ。いつもそうだ、あと少しで手が届くと思ってしまう、掴めると思ってしまう。全部が良くなるという錯覚に溺れる。
対面でのコミュニケーションが非対面のコミュニケーションの呼び水になる。恐ろしい。許されている感覚に緩んでしまう。そんなものは錯覚で、幻想だというのに。そこから転げ落ちる、落ちていく、気が付くとまた最低な気分になっている。私の人間との距離がおかしいんだろうか、それは常であるから、良く分からない、誰か正しい距離を教えてくれよ。どうしたら良いんだよ。そしてまた私はわたしに触れるものを遠ざけたくなるのだ。また証明しなくてはいけないと思うようになる。でも長くは続かない、分かっている、対面でのコミュニケーションをあっち主導で取られているうちは。それすらなくなってしまえば、私は本当に恐れることが出来るんじゃないだろうか。そうしたら、嫌でも離れられるんじゃないだろうか。そう思っている。でもそれすら拒絶されたらどうなるんだろう、耐えられるのかとも思っている、本当は拒絶されるのが怖い。分かっている、本当は欲しているんだろう、そうやって遠ざけられるのは怖いのだ。浅ましい、汚いな。
主語はあえて大きくしている。分かっている、対象を自覚している。全員に興味なんてないのだ、誰でも良いだなんてほんとは嘘なんでしょう。そうやって誤魔化しているつもりなんでしょう、誤魔化したいんでしょう。愚かしいね。
何度も傷付いて、血を流して、恐れて、何度繰り返すんだろう。もう駄目だ、遠ざかろう、離れよう、これが最後だと思う。癒さなければと思う、この血を止めなければと思う。そして瘡蓋になる。そして、どうするのか、私は、愚かしい私はそれを剥がす。もしくは新しい傷を作る。また血が流れる、そんなことは分かっているのに。何度血を流しても、何度恐れても、また傷を付けてしまう。傷付く事はどうしたって明白なのに、尚触れようとするのはどうしてなんだろう。自分勝手に近寄って、自分勝手に傷付いている事は分かっている。誰も悪くない、いや私が悪いのだ。学ばない私が、自分勝手に傷付いているような気分に陥ってしまう私が、悪いのだ。
サインを読み取れ、近寄るなという警告が出ているだろう。分かっている、拒絶されていることくらい。いやどうなんだろう、中途半端な方法では分からない。拒絶するならば、全力でやってくれ、息の根を止めてくれよ。それは優しさではない、いや元々優しさを期待する方が馬鹿なんだとも思う。そして、馬鹿な私はそのサインを、警告を見ない振りする。見ない振りではない、本当には見ている、見ているから恐れている、無視をする。どうしてそんな真似をするんだろう、それでまた傷付くんだろう?馬鹿馬鹿しいだろ。でも仕方ないのだ、消えない気持ちを消すにはこれしかない。無になるたったひとつの方法、終わりになるまで、やる。取り返しのつかないところまでいくか、私が立ち上がれなくなるかのチキンレースだ。いつだって捨て身で、身勝手だ。私に何のメリットがあるのかは分からない、何もない、上手くいけば無関心になれる、心を殺せる。生憎だが、自損するような解決策しか持ち合わせていない。
早くこんな馬鹿げた事から抜け出したい。自尊心を砕いて、精神をすり減らして、一体何になるんだ。何が得られるというんだ、一体何が欲しいんだろう。話したい事なんてあるんだろうか、ないだろう。ないだろうと思うのに、あるんだろう。あると思ってしまうから、私はまた傷付きにいくのだ。でも本当にそれって話さなければいけないことなんだろうか、分からない、話さなきゃいけない事なんて、大抵はないのだ。一時的な快楽の為に支払うものが多過ぎると思わないか。勿論思っている、私は見合わないと思っている。本当にコストパフォーマンスが悪い、最低だ、馬鹿げている、回収率が極めて悪い。その上、言葉が通じているとも思わない。国語の成績が悪かっただろうとか、お前のそのふざけた態度が気に食わないだとか、良い歳してそれで面白いと思ってんのかとか、思わないといえば嘘になる。でも、そんなクソみたいなところを多分私は面白がっているのだろう、ふざけんなよ、馬鹿にしてんじゃねえと思いながら、どこかで好ましく思ってしまっているのだろう。本当に救いようがない。
恋なんてバグだ、少なくともこれはバグだ。絶対に幸せになんてなれない、片想いが幸せになれないとは思わないが、少なくともこの場合は無理だ。絶望的だと思う。最早恋かもわからない、いや恋だと思うけれど。どこが好きなのか、どこが良いのか。正直もっときちんと構ってくれる人間が居て、面白いと思えば、そちらを好きになるのではないかと思わなくもない、分からないけれど。私は分からなくなっている、話していて面白いというだけ、だけなのに言葉が通じないと思っている。これまでの人生のなかで最も言葉が通じていないと思う気がする。高校の頃の交際相手に対しても日本語が下手だなと思っていたけれど、それとは違う通じなさを感じている。どちらがマシかといわれると高校の頃の人間の方がマシである、彼はふざけてはいなかった、いやふざけていないのに日本語が下手だなと思われるのはそれなりに可哀想な気がする、話が反れてしまった。どうしてこんなに執着しているのか、自分でも良く分からない。頭がおかしくなってしまう、頭のなかはどうしてこんなに騒がしいんだろう、どうやったら黙らせることが出来るんだろう、助けてほしい。
恋
何故恋をするのか、そんなことを考えるのは馬鹿げていることは分かっているのだけれど、考えずには居られない。どうして生きるのかを考えるのと似ている、どうしようもない事だと思う。何故人間を疎む姿勢を崩してしまうのか。
人を好きになればなる程にあなたでなければいけなかった理由を答
だから私はあなたでなければいけなかった理由はいつだって答えられない。でも今は前よりは、少しだけ、答えられるような気もする。気のせいかもしれないけれど。
恋は暇潰しだなんてまるでゲームをしているようで、相手に失礼なのではないかと思うけど、
死ぬまでときめいていたいけれど、やっぱりそれはいつだってくすんだ色に変わってしまうんだろうね。そのくすみを、劣化をどうやって受け止めていくのか、私はそのやり方がまだ分からない。隣に居て欲しいと願う事は恋であるけど、それはずっと隣に居て欲しいと願う事はまた違っている気がする。一過性のときめきは甘くて可愛いスイーツみたいで、心がときめき踊る。その瞬間を、一時の気迷いを永遠に食べていたいと思う。思うけれど、どうなんだろう、本当にそんなことを望んでいるんだろうか。私は恐れている、すべてが醜く朽ちていくことを。あなたが、彼が生誕したこと以外に幸せを感じた事がないという彼の声が、一緒に居るのが辛いのだという彼女の声が貼り付いて剥がれない。どこに行くのも一緒だったという仲睦まじいふたり、この人との生活ならばどんなに楽しいだろうかと夢想したこと。ずっと、という言葉は恐ろしい。
恋をするのは余りにも簡単であって、
埋めたい余白を、
隣の芝生は青くて、青さに目が眩んだ。間違いだったのだと思う、
私は孤独を愛する人間を一層愛してしまう。
ただあいた余白は、
最近は話すということは同じゲームをすることではないという事を何となく感じている。私はテニスであなたは野球、あるいは私はチェスであなたはオセロ、そう言った具合だなと思うときがある。これは言葉が通じない人間とよく起きる気がする、キャッチボールにならないコミュニケーションもこれなんだと思う。
私は相手の言葉がそれなりに分かろうと出来る気がする、少なくとも分からないことを分かることが出来る気がする、思っているだけで勘違いかもしれない。でも私の言葉は分かって貰えないような気がするのだ、分かろうともして貰えない気がするのだ。きっと彼らは飛び越えてくれないだろうと思う、この隔たりを。隔たりを勝手に感じて線を引いているだけで本当は何もないのかもしれない、でも感じずには居られない、いられないのだ。考えたことがないこと、もう考えないことを、理解は出来なくても、それはそれとして許容してくれるだろうか、私にはそれが分からない。私は彼女が、彼女たちが、理解は全くできないけれど、そばに居てくれることを、嫌わないで居てくれることを、凄く素敵な事だと思うのだ。彼らはそうあってくれるのだろうか、私はまた恐れている。そして、私は本当にそうあれるだろうか、彼女たちのように。
これで私はあなたでなければならない理由に少しだけ触れた気がした、気のせいかもしれないけれど、でもあなた以外にと思える事が私にもあったのだなと思う。これから先、これ以上優しくしてくれる人は居ない、好いてくれる人は居ないというよりももっと確かなあなたである理由、と呼べることがあった事を知る。痛みでしか分からないこともある、
望みは心を砕くのだと思う。
私は敵わないことが好きだ、支配されている方が気楽だ。
何もしていない、ただいつもより人と関係したと思う、
寂しくて、人恋しい、構って貰えたなら嬉しい、
どうなりたかったのだろう、私は。憧れを拗らせたのではない事は分かっている。構って貰えて嬉しかった、それだけの事なのだと思う。呆れてしまうな、誰でも良かったんだろう。いや本当の意味では誰でも良い訳ではないのだけど、誰でも良かったんだと思う。とても普通に人間を好きになれてしまう事が分かった、話して楽しいという素朴な感情は私にとって大きな要素なのだろうなと思った。
人間に期待をするべきではないのだと、
これはもうボトルメールようなもので、でももしこれを読んだのだったら思うのかもしれない。
書かずには居られないから書いてしまう、
許されないと思っている、
あなたによせて
輝かしい頃の記憶を掘り起こすのは恥ずかしくて、残酷な行為だ。もう二度とは戻らないものはどうして馬鹿みたいに綺麗なんだろう。でも忘れたくないから、こうして記すんだろう、記してしまうんだろう、馬鹿みたいだ。
私はわたしに興味がなさそうなひとが好きだった、とはいえ本当に無関心だったら苦しいだろうけど。その少ないであろう他者への興味のリソースを少しでも割いてくれたなら、それはこの上なく喜ばしいことでその関心を得ることが出来たならと思っていた。あなたは私が自殺しても泣かないと思ったように、私は私が居なくなっても、あなたは大丈夫だろうと思った。本当の意味で私を必要とすることはないと、そう思っていた。
与えてくれたものに対して応えられてないとは思っている、それだけが申し訳なくて仕方がない。こんなに支えてもらったのに、何もできなかった、何もしなかった。ありとあらゆるものを貰って、傷だけつけてしまったような、そんな気さえしている。返済は出来ないんだろうと思う、返してほしいなんて、優しいから言わないだろうけど。
他人から言われるようなことを私はあなたに思ったことがなかった、私はあなたが優しいことを誰よりも知っていたし、他人にどう言われようとどうでも良かった。その度にきっとこれ以上に同じだと思える人は他にいないのだろうと思った。なんでそれなのに別れたいと思ってしまったのか、よく分からない、よく分からないと言って怒らせたことを思い出す。私があなたを傷つけた回数の方が遥かに多いだろうと思う、あなたの優しさに甘えてばかりだった。あなたの庇護のもとにいるのがいちばん幸せなのではないかと思うのに、どうしてうまくいかなかったんだろう。変わっていくことは疎ましい、薄れていくことは悲しい、あのままでいられたら良かったと思わなかったといえば、嘘になる。
読んだ文章たちは苦しくて、涙が止まらなかった、思った以上に悲しくて、自分勝手さに辟易した。悲しいからやっぱりこのままでと言おうと思えば言えるけれど、それはただの誤魔化しで、あなたはそれでも良いというかもしれないけれど、結局のところ、今か後かでしかない気がして、もうこれ以外の前向きな選択肢は存在しない気がするのだ。
なんて自分勝手なんだろう、馬鹿みたいで涙が出てくる、こんな駄目な私をどこまでも愛してくれた、幸せにしてくれたことについて感謝してもしきれないのだ。あなたがいなければ、どうして私は生きていけたろうか、私はあなたが居て本当に良かった、あなたに生かされたと本当に思っているのだ。あなたの言葉に、何度生かされただろうか、きっとこの後もそうだろう、くれた言葉で生きていくと思う。それなのにどうしてと思う、でも思わないで欲しい、お互い苦しいだけだから。
どんな形になるか分からないけれど、これをひとつの区切りとしましょう。謝罪することしかないけれど、謝罪をするのはヒロイック過ぎるから割愛します、感謝することもいっぱいあって、ひとつひとつ書いていくとどうなるんでしょう、大変なことになる、なので割愛します。
ごめんなさい、本当にありがとう。
そして、生きて下さい、これは呪いです。私は自殺されたら泣いてしまうので。あなたの求めたものには何一つ応えられそうになくて、申し訳がないな。